こんばんは、孤独な女社長です。
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今年のGWは、友人とわたしのふるさとへ旅行へ来ている。
とっても楽しいはずなのに、何だか心のすき間に孤独の風が吹いている。
短期間で父と母両方に会ったからかもしれない。(離婚して隣りあう県に住んでいる)
当たり前だけれど、父と母は毎年少しずつ老いていく。それを意識せざるを得ないのが悲しい。
また一緒に旅行している友人は早くにお父さんを亡くしているが、兄弟が多く、根源的な孤独感のようなものを感じないそうだ。
根源的な孤独との闘いを人生でずーっと続けてきた自分としては、全く想像がつかない。
はっと気づけば孤独感が足元に迫って、そこから逃れようと必死で何かしてきた人生だった。
気づいたら社長になっており、あまり働かなくてもそこそこの収入が得られる立場となり、余計に孤独感を感じやすい状況に陥っている、今。
人生に必死で向き合っている自分と、必死になるほどの差し迫った感のない、だけれど幸福な友人。。
人生ってなんと不平等なんだろう。
もしかしたら自分は、もっともっと仕事で成功するかもしれない。聞いたことはないけれど、もしかすると友人の2倍は今だって稼いでいるかもしれないのだ。
でもこれが3倍4倍になったとて、幸福感は彼女には及ばないだろう。
幼い頃から喉から手が出るほどほしくて欲しくてたまらなかった「根源的な安心感」を持っている彼女には。。
恨みはない、比べたくもない、だけれど、人生の不条理を思う。
目に見えない敵(孤独)から必死で追い立てられ、死に物狂いで走って、普通の人は手にできないお金をたとえば手にして、それでも私は幸福ではないと思う。
あるいみカリカチュアのようで、自分の姿が滑稽で面白くなってしまう。
悠々自適のような立場で、内心は必死で、誰よりも繊細で、息も絶え絶えに経営している笑
そう、私の人生は昔から悲劇に限りなく近い喜劇のようなものだった。
「人間失格」で、「○○は喜劇か?悲劇か?」と、事象を喜劇と悲劇に分類する遊びが出てくるけれど、私の人生は喜劇だと思う。
笑うしかない人生だからなぁ。
昔から、自分の身に起きた不幸を笑い話にして話す癖がある。
それで爆笑してくれる人ばかりが親友として残っている。
心底幸福な人はその話を笑ってくれない。真顔で心配されてしまう。またはどうでもいい総括を入れてくる。
笑ってくれよ!
と、思う。
バイタリティがあるとか、積極的だとかコミュ力おばけとか色々言っていただくけど、それはすべて孤独で死にそうだからだよ。
心がいつも満たされていられるなら、無気力で消極的だとばかにされてもいい。
旅行はまだまだ続くので、明日は6:30には起きなくてはならないのに、とっても悲しくて眠れるかわからない。
一時的なものだといいけれど、今年に入ってから、この孤独感に苛まれて、平常でいられない日が増えている。