今日も引き続き楽しい旅行の一日だったけれど、心の中は孤独感で一杯だった。
いったい、何が起きれば自分の心が安定するんだろう。
ロングドライブの途中、友達に自分の孤独感の話をしてみたけれど、やはり理解は得られなかった。(人間が違うのだから、当たり前である)
カウンセラーに、「女社長の知り合いができたらいいのでは」と言われ、それは一つあるかもしれないと思う。
自分は事業を立ち上げたのでなく、引き継いだだけなので、社長という認識が薄いけれど、似た立場の人と知り合えたらとても嬉しい。
このブログを見ている孤独な社長さんがいたら、コメントしてください(笑)
私の父は還暦間近でアルコール依存症になってしまったが、その気持ちは何となくわかる。
父も忙しい人で、公務員を辞めて自営業を始めたが、きっと何かしらの孤独があったのだろうと思う。
私と同じタイプの孤独が。
謎の健康食品やパワーストーン、最近では陰謀論めいた言説にもハマってしまったけど、それは仕方のないことなのだろう。
父を見ていると、私もいずれそうなるのかな…と思ってしまう。
母と離婚してから、再婚はせずずっと1人。
仕事や地域の繋がりは持てているけど、心の穴が埋まらないのだろうな。
ここ最近本当に、自分の心にぽっかりと空いた穴を意識してしまう。
今日、友達に自分の状況を話すときに「不幸だ」と言ってしまった。(あくまで主観的な意味で)
強い言葉だったなと思って少し反省している。
だけど、そう思っているのは本当だ。
旅行は楽しいし、よい友達がいて、アル中だけど元気にやってる父がいて、夫がいて、チャレンジをくれる職場がある。
これらは私を取り囲む幸福な要素だけれど、これらを下支えするように、孤独や絶望が心の奥底にある。
すべてが不幸だというのでは全然ないけど、何をしたって孤独感や絶望感が私の一挙手一投足にまとわりついてくる、これ自体はどうしても不幸だと思ってしまう。
多分死ぬまで消えない病のようなものだ。
松井冬子さんの絵に「切断された長期の実験」という白い犬が描かれたものがあるが、自分の孤独をイメージするとこれが思い浮かぶ。
痩せて、目を見開いているけど黒目がなくて、どこも見ていない犬。
自分はこの犬のように、飢えてあてどなく彷徨っているような気がする。
飢えているから、腹を満たすためにどんなこともするけれど、満足感は一瞬のことで、穴の空いたバケツのように、またさまよう。
どこをだろう?冥界かな…😅
この不幸のカタマリが、いなくなればいいのに。
若い頃は、「何千万の借金を負ってでもいいから、根源的な安心感がほしい」と渇望していた。
今はそこまでは思わない。安心感は努力によって作り出せることもわかったし、しかしその努力は大変な労力を要するので、幸と不幸の間くらいをたゆたうことに慣れてしまった。
若い頃ほどのエネルギーはなく、かといって孤独が消えたわけでもなく、ただ孤独を内包したまま少し年齢を重ねたところだ。
無理とわかっていても、なくなればいいのに。満たされればいいのに。と思ってしまう。