3月に行った胚盤胞移植がうまくいき、めでたく妊婦となった。現在はひたすらのんびりと妊婦生活を過ごしている。
鬱もやや軽減し、ぬるい湯のようなエアポケットにはまり込んだように漫然と日々が過ぎて行く。
胎動はまだないので、本当にいるのか不安になるが、健診へ行くと元気に動いているので存在しているんだろう。。
妊娠がわかってすぐのときにひどい食中毒になったため、保守的な暮らしをするようになった。
外食はあまりせず、自宅でできるだけ作るようにしている。食費は跳ね上がったが、時間はあるし、とにかく好きなものを好きなように食べていて結構幸せである。(血糖検査に引っかかりかけたのでそこは気をつけているが)
つわりはそれほどひどくなかったし、吐いたりすることもなかったけど、今振り返ると体調は良くなかったと思う。最近になって安定してきた感じがする。
そういうこともあり、遠出をするとかも控えていた。なんなら運動不足に陥っていた。
調子がよくなったと感じたのは本当にここ数週間のことで、今日はついに1人で都内まで出かけてきた。
7月に母が来る予定があり、東京まで迎えに行くための予行演習をしておきたかった。(母とは2月に色々あったがとりあえず表面的にはうまくいっている)
それから見たい展示などもあり、短時間だがランチ→買い物→美術館、というコースで5時間ほどうろついてきた。
途中渋谷パルコのマツケンカフェに目を奪われたり、美味しそうなバクラヴァを見つけて買ってしまったりした。
東京に行ったのは、妊活が本格化する前に会いたい人に会っておこうと思って出かけた1月以来のことだった。
特急で1時間半、バスで2時間なので全然いける距離なのだが、鬱やら妊娠やら色々なことがあり動く気になれなかった。
1人でこうして自由に時間を使って好きな場所へ行けるのもあと僅かのことかもしれない。。
まあ子供が少し大きくなったら家族で出かけたりできるのかな。
子供ができる=何かを諦める、みたいな言説を最近多く目にしてへこむな。実際そうなんだろうし、そういうフェミニズム本なんかも出てたりするけど…。
でも子供を持つ人生にしようと思って決めたのだから、喜びとか見出していくしかないよね。
もちろん構造的なこと、システムでなんとかできることについては、現実を見て意見していくのがいいと思うが。子供を持つのが貧乏くじみたいなふうには、やっぱ思いたくないよ。
そもそも人生が退屈だから子供でも愛そうと思って作ったんだから。何歳になっても自分のことだけ、というのが私には辛かった。(そういう人生ももちろんアリですが)
だから徹底的にエンジョイしていこうと思う。
そもそも人生が虚無なのだから、子供がだれだれを泣かせたとか、初恋をしたとか、いうことを聞かないとか、そういういろんなことに向き合ってるだけで退屈じゃなくなりそう。
ただ子供でいっぱいにならないようにはしたい。
距離感掴めない方だから。それは子供に迷惑をかけるし、毒親とか言われたくないし。。
いま停滞してるけど、自分のキャリアというか、もうキャリアって言葉も嫌いになってきたけど、金稼ぐこととか自己実現とか含めて、自分のこともちゃんと確立させていきたいな。
明日は夫の畑を手伝う。
今日は渋谷やら原宿やらにいたのに、明日はど田舎の畑。この落差がとても面白い。連続性のまるでない自分の人生みたい。
人生の長い夏休みにスポッと妊娠という大イベントがはまりこんで、さらにワケわからなくなってきた。いいぞ。
この先の人生全くわからない。
今まで運と出会いだけでなんとかしてきたけど、レジリエンスが問われる時。。。
まぁゴールはすでに決まっていて、そこまでどう到達するかの違いだけ、と芦田愛菜ちゃんも行っているので、どんな選択をしても然るべき場所に辿り着くのでしょう。
最善を尽くしさえすれば、ということだと思うので、決して背伸びはせずに、その日その日のベストを出していこうと思う。
1日転がって130歩くらいしか歩いてない日も。
今日みたいな日も。