ACでHSPでカサンドラなフリーランス女の日記

田舎の中小企業で雇われ社長をしていたら鬱になったためフリーランスに転向することにしました。

友人たちに会った/働くことについて

11/18頃、夫に対して不満が爆発してしまい、もう出て行く!と言った。その2日後に母が心配してこちらに来てくれ、中継地の静岡で待ち合わせて母と一泊した。

そしたらなぜだか信じられないほど気持ちが回復した。たった1日離れただけなのに。

 

それから2日ほど母が過ごしてくれて、夫が結構子供の面倒を見てくれた。最悪な夫どころか、むしろ好ましい、ありがたい存在にすら感じた。

 

この、伴侶へのイメージの不安定さは心底不思議。11/18頃は煮詰まっていただけなのかもしれない。

 

11/24の朝に母を駅まで送り、11/25〜11/28(今日)まで関西へ旅行に出た。

もしかしたら子供を1日以上置いて家を出るのは初めてのことかもしれない。

 

関西では、中学の同級生や元彼、親友などいろいろな人と会って話した。関西に発つ前、東京でも予定があり、そこでも大学時代の友人と久しぶりに会ったりした。この数日で計4人の人とじっくり話したことになる。

 

いま住んでいるところには少なくともなんでも話せる相手はいないので、本当に心安らぐ時間だった。

 

色々な話をして、ただただ楽しかった。家庭の悩みを相談したらみんな聞いてくれて、いろんな意見をくれた。忘れないように印象的だったことを書いておく。

 

Eちゃん

・著名な書家?画家?が言っていたこと。自分が気に入っていない作品をお客さんが買って、それをとても気に入ってくれたらどうするか?

作品は自分から離れたら自分のものではない。相手の琴線に触れたとしても、その感覚は相手のもの。気にしない、心乱されない。申し訳ないとも思わない。

 

Tくん

・旦那さんは、いわばまりちゃん(私)の親の金でパチンコを打っているようなもの。別れなはれ。

・まりちゃんは相手にすがりつく恋愛しかしたことがないかもしれないけど、雨に濡れたチワワを振らないといけないこともある。そのときは感情をなくして、会話もせず、離れるしかないんだ。会話をしたら悪い方向へ行くこともあるんだ。

・自分が安心できる人の近くに住みなよ。京都いいところだよ?

・また会いたいよ、生きて会おう。

 

N

・いやー、別れなくていいんじゃない?なんだかんだいいカップルなんじゃないの?外から見てたら面白いよ。

・今の僕、世界と関わってはいるね。

 

こういう時間を過ごすのは本当に楽しくて、つくづく友達っていいものだと思う。そして、近くに本当に心の支えと思える友達がいないことを残念に思う。

 

もう一つ思うのは、そもそも論として友達ってなんなんだろうと。

彼らはたくさん意見やアイデア、感想をくれて、それは私の血肉になったり、鏡となって私にいろいろなことを気づかせてくれる。

だけど彼らは直接、私の人生の決定権を持つことはない。伴侶ではない。不思議だなと思う。

 

お互い時間を作り、その時間を過ごすためのお金を惜しまず払う間柄。(例えば映画を見たりお酒を飲んだり)

私との時間を過ごしてお金を払ってもらうことがなんだか申し訳なくすら感じる。

 

友達という存在が昔は当たり前だったのに、いまは本当にありがたくて。だからこそかけがえがないし、申し訳なさまで感じてしまうのかなと思う。

いつでもそばにいて、今空いてるー?ってノリで互いの家でダラダラしたりしてたのになぁ。

 

そしてさらにもう一つ思ったのは、彼らとの時間をもっと増やしたいということ。そのために働きたいと久しぶりに思った。

 

2025年6月頃、最後の(最後であってほしい)バーンアウトが起き、ワーカホリックを本当に自覚した。

そこから積極的に働くことはやめて、編み物をしたりのんびりと時間を過ごして、一部は回復したと思う。

ただ秋になり、夫の鬱が再燃し(私の一言がきっかけ。。)、のんびりとはできなくなったが…。

 

そしてこの働きたい気持ちもいわば現実逃避で。夫といる時間を減らしたいのかもしれない。

 

ただ、これまで本当にしんどかった。

子供がいなかったらもっと働いていて、もっと早くワーカホリックにも気づいたのかもしれない。

子供がいて、体調が整わず、保育園に行っていてすら、長く働くのが本当にしんどかった。

 

それは世間から見ておかしい、自分がおかしい、と思い続けていたけど、今回友人らと話をして、あぁやっぱり自分の感覚を大切にしていいんだと思った。というか、それしかできないじゃんと。

 

じゃあ自分じゃなくて世間の方が正しい、となったところで、元気一杯にならないし、フルタイムで働けないし、世間の人も助けてくれないし。

 

「友達と会う」の効能は、彼らが好き勝手生きているのを見れることかもしれないと思った。

だからこそ自分も自分でいいと思える。

 

彼らも互いに評価しあう。

たとえばNはTくんのことを、「でも、あの人大分変わってるじゃん」という。

私はそれを聞いて、「確かにな。Tくんの価値観は少しズレてるところもあるから、100%間に受けられないな」と思ったりもする。

 

そういういろんな視点の交流は私だけの脳ではできないし、chat GPTにもできない。

私が煮詰まっていくポイントはここなのかもなぁと思った。

 

同一コミュニティでたくさんの人と関われば、あの人はこんな人。こんなことを言っていた。でも私はこう思う。それに対して別の人はこうも言っていた。というようなたくさんの証言が生まれる。

それを踏まえて自分はどう考えるか?とか、誰の味方をするか?とか、いろんな立ち回りを考える。これこそが自分の今の生活に足りていないことかもしれない。

 

この旅を通して、もっと好きな人たちに会いたいし、お金の気兼ねなく会いたい。と思った。

そのために働きたい。と思った。

 

これは私の心からの本当の意見かどうかわからない。働くとなるとワーカホリック的に障壁が大きい。

だけどこれが健康な心からの願いならば、ぜひその通りに働いてみたいと思った。

 

今のいっときの気持ちなのか、夫との生活から逃避したいからそう思うのかわからない。

 

でも帰り道に短期バイトを探したりした。それならできるような気がして。。

 

気持ちって本当に不思議だ。香りを嗅ぐだけとか、一泊母が来てくれるだけとか、それだけで変わってしまう。でも人間は生き物だからそういうものなのかもしれない。

夫の不眠/今日の気分

昨晩は息子20:30、私は23:30頃寝たが、0時頃息子がぐずった。

睡眠退行というのに直面しているらしい。

年末年始から保育園への預けが減っているため、自宅で見なければならず、本来昼寝のタイミングで外出させたりしてしまい、睡眠時間がずれて夜泣くようだ。

 

こういうのを戻すのってタイムマネジメントが必要で、なかなか大変な作業。

今週も三連休なので、預けが週4と短い。

 

つぎの土曜には地元への移動があるので、週4で復活した昼寝のリズムをどうキープするかが課題だろう。

 

夜中に泣かれるのはキツいし、私自身いまストレスがあってこうして明け方に起きてしまったりする。(現在6:30)

そうなると2〜3回は起きることになり、辛い。。

 

かといって、夫にもあまり負担はかけられない。

 

夫もなんらかのストレスが蓄積して、いま睡眠がうまくいってない。目にはクマができて、とても痛ましい。

付き合った当初はわからなかったけど、自分で事業を始めてからはプレッシャーで精神的にすり減る人になってしまった。

 

それゆえに遠出したり、家族で楽しむという時間を持ちづらくて、仕方ないと言い聞かせていても、不満が募る。

 

そうした色々で、あまりうまくいってないというか、低空飛行でなんとかかんとかこなしてるな、と感じる。

 

ただ、日々の雰囲気が悪いわけじゃない。基本的には仲がいいし、仲良くあろうとお互い努めているのがわかる。

家族だって人間関係。メンテナンスを怠れば容易に崩れてしまうと思う。

苦しい状況でも仲良くありたい、その姿勢が今の私たちを悲劇的な雰囲気から救っている。

つまり愛でなんとかしている。

 

私は夏ごろの育児メインの生活に疲れてしまい、冬になったら夫とどこか行きたい、愛してほしい、というオーラ全開で、ここ数ヶ月テイカー的な態度をとっていたと思う。

 

今回夫の不調が顕在化したことで、そうした態度を反省した。姫みたいな態度でいていいはずなかった。

 

18日から実家へ帰省するのだが、不眠がひどかった日、それも無理かもしれない、みたいな流れになった。

向こうからしたら相手の親の家に行くなんて、元気な時でもストレスだよね。

 

でも向こうで母に息子を預けている間に夫と2人で行きたい場所があり、予約もしている。

夏から、一緒に行きたいと伝えて了承してもらっている場所だった。

なので帰省自体をキャンセルするのはとても辛い。(実家の居心地はともかく、移動は好きなので)とりあえず夫の滞在時間が短くなるよう調整した。

 

夫も私の希望をできるだけ叶えたいと思ってくれているんだと思う。

 

帰省(というか旅行の感覚)がほんとに無理になったら悲しい。

今はそうならないように、できるだけ夫のタスクを減らす協力をしている。

 

こうなった理由の一つに、夫のASD的な特徴もあると思う。

マルチタスクがとにかく苦手で、大きめの予定も5分で終わる予定も同じ大きさの「予定」としてキューに入ってしまうらしい。

 

自分だったらその日やることを時系列にメモしたり、5分で終わる電話予約の予定などは隙間時間にリマインダーをかけたりする。

 

 

でも夫はそうではないらしい。

気がかりなことがあると、それが終わるまでは5分の予定にすら着手できないし、精神的に不安定になる。

めちゃくちゃ不便そうだし社会生活すれすれでは?と思う。

 

思い返せば夫が何か予約しているシーンってそんなに記憶にない。東京にいたとき、人気のレストランとかはよく予約してくれていたけど、それは日程が決まっているから大丈夫らしい。

 

とりあえず、前々から夫が懸念していた「剪定枝を燃やす」という作業が今日の風向き的にできそうなので、よかった。

本当は家族で過ごすつもりだったらしく謝られたが。(家族でいたってどうせスーパーくらいしか行けない泣)

 

本当はよくないが、どうしても眠れない時に私の導入剤をあげていたので、夫にはオンライン診療を勧めてみようかと思う。

それも予約は必要だけど、空いてる日が○×で表示されるのでまだやりやすそう。

 

薬って対処療法にすぎないけど、夫のこれは多分一時的なストレスの重なりだと思うし、とりあえず睡眠だけでもうまくいけば日中の気力も変わると思うから。

そんな深刻な鬱病ではない気がする。。んだよね。(だといいな)

 

とにかく、不足に見えても相手は100%やっていること。それを信じる。

不機嫌を出さず細かいことは流そう。

 

あまりやってるとこっちが疲れそうだけど、、

 

できるだけのことやるしかない。

父とのこと

息子が少しずつ大きくなるにつれ、父と仲直りできていないことが一層気になる。

 

そこで父と働いている従業員の方に、探りを入れようとした。ら、私の帰省日程をそのまま伝えてしまったらしく、「一番忙しい時期だから無理」と返事が来たとのこと。

 

こりゃ無理そうだ。。

と思ったけど、せっかくだからその方が何かしらないか聞いてみた。

 

しかし、連絡をとってないのは知っているけど、理由は聞いていないとのこと。

もしそれが本当だとしたら、やっぱりあの電話は父にとって相当大きな出来事だったのだろう。

 

実は先日たまたま父の弟からSNSで連絡があり、繋がることができた。

父は4兄弟だが、その中でも一番関わりやすかった気さくなおじさんだった。

 

協力は惜しまないから何かあったら連絡してと言ってくれている。

 

もう彼か、ナイトスクープしか、残された方法はない!!😭(関西人の心の拠り所)

 

でも1年半経つのにここまでガチギレだと、ナイトスクープはお蔵入りになってしまう気がする😭

 

おじさんに聞いてみるしかないかな。

 

父がなぜ怒っているか、理由が明確ではないのだけど、もしかしたら…ということがあり、それは兄弟であるおじさんなら理解できることかもしれない。

 

もはや、和解したい、悪いところがあるなら謝りたい、という気持ちもあるけど、父がなぜ怒ったか、1年半後も同じモチベーションで怒りつづけている、それほど許せない理由をただ知りたい。

 

もしかして父ですらそれに向き合えず、そのモヤモヤを娘への怒りに転化しているのではないだろうか。

本当に怒っているなら私にぶつけてもいいのに、私は真実をちらつかせる存在であり、怒っている理由に向き合わせる存在だから「拒絶」という手段しか取れないのではと思っている。

 

父こそ、自分がなぜ怒っているか、本当の理由がわからないのではないか。

 

私はその理由は、父の生い立ちに関係するとても根深いものだと思っている。

私の仮説が正しいなら、確かにそんな大きな問題、というか自分の抱えているもの、に還暦すぎていきなり直面させられたらかなりしんどいと思う。その攻撃を子供とはいえ他者に向けても仕方ないことだと思う。

 

合っていないといいのだが。

私の盲点で、私がとにかくめちゃくちゃ悪い、酷いことをした100%悪人状態の方が謝れるし、事態が収束しやすい。収束するなら別にめちゃくちゃに言われても構わない。

 

だけど。

やっぱり従業員の方にすら話していないなら、それは父自身の問題である、という証左な気がしてしまう。。。

バイト決まった

明日からパートで週3日ほど出勤することになった。とあるサービス業のウェブ担当者。

これまでの経歴をかって採用してくれた。

一般的なパート時給よりは少し高いと思う。

 

しかしサイトの管理がメインになる仕事は初めてで、ちゃんとできるか不安が多い。

SEOなどの知識は生かせるだろうが、それをメインではやりたくないし。

 

少しずつ改善点が見えてきたらいいな。

まずは出社して色々設定する感じだよね。。

明日は多分そんなこんなで終わるよね。。

 

あまり考えすぎたらグッとなってしまうけど、給料分しっかり働こう。そして勉強してもしすぎないように。やりすぎないように。

もう背負いすぎて燃え尽きることがないように。。ほどほどに重宝されて居場所見つけられることを目標にやってくゾイ😢

2024/10/01カウンセリングで話す用メモ

・1ヶ月息子の面倒を家で見て、楽だったこととしんどかったこと

→ 眠れない 二度寝が必要だができないこと

 →予定が立てられない。独身の友人との予定を断るのがつらい。

 

・○○○○のウェブマーケティングをできないか

・良いこともあったこと 市の運動教室と読書会への参加

・たまに友人とも会えている

 

メインのトピックは息子の看病と二度寝のできなさについて。これによって体力が削られ、風邪をひきやすくなったり仕事を増やせなかったりする。

 

疲労した夜のフラッシュバックへの対処

昨日は友人一家が東京から遊びに来てくれて、ぶどう狩りを楽しんだ。

 

楽しかったけど、お互い子連れでしっかりと近況報告などができず、疲れてしまった。旦那さんがいることや、うちの夫も途中で抜けて畑に行きたがっていたので気を遣った。

 

とても疲れた感じがしたのと、食事のサイクルや内容がいつもと違うのが不調のきっかけだったのかもしれない。(夜になって首が攣ったりもした)

朝食はそれなりにとったけど、ぶどう狩りを経て遅い昼食はグラタンだった。それも炭水化物はなく、ソースに野菜のみが入ったもの。それがすごい量出てきたので、途中で少し気持ち悪くなり残してしまった。

 

そして夜はチンジャオロースーと市販の生麺のラーメンを作ったけど、気持ち悪さが残っていたので麺を半分ほど夫にあげてしまった。

 

私は基本的に「寝たくない」と思っていて、今日はそれが顕著に出た。そこへ量の少ない食事が効いてきて、空腹に。

そんな中でなんとか寝ないと、と思っていたら、なんだか心細くて昔のトラウマが次々と出てきてしまった。

 

寝ようと思って、youtubeで瞑想の音声を流していたけど、普段は安眠できるそれが、まるで動物がお腹を見せて寝るように私の急所となり、トラウマを想起しやすくなった気がする。

 

そこで一旦起きて、いつもの眠剤を飲み、少し何か食べることにした。

レトルトのスープと、イングリッシュマフィンと、お菓子を少し食べた。これで寝れるかなぁ〜…。

 

やっぱり私にとってヨガとか瞑想の類は諸刃の剣というか、使い所が難しい。元気な時は瞑想は効果的だけど、元気じゃないときにやるととても危険かもしれない。

 

SNSもずっと見ているとよくないのは自明なので、kindleで読書を始めたら、注意を向ける方向が固定されて少しラクになった気がする。

 

ブログは中断していたが、8月半ばから先週まで息子が体調を崩し1か月近く自宅保育をしていた。

 

そうしたこともあり、整いかけていた生活リズムが崩れてしまった。やっと先週から保育園に行けるようになったものの、そのリズムは復調できていない。

 

この一か月息子と2人で寝ているが、そろそろ3人で広いベットで寝たい。羽毛布団を出したので、シングル布団では窮屈だ。息子は布団から畳に転がり出ると泣いて起きるし。

そのためには寝室の環境を整えねばならず、それが億劫でこうなってしまっている…。(元々は、夫が喘息になり夜中の咳で息子も起きてしまうためだった)

 

色々整わないまま今に至る。

そんな状況で疲労したら、フラッシュバックが起きるのも当然か。

 

というか今までフラッシュバック由来の不調は自分のせいだと思い込んでいた。

 

CPTSDとかACの人は、自分は悪くない、この不調は自分のせいではないと手放すことが大事だと思う。実際自分のせいではないんだし、自責しているとそこから一歩も動けなくなってしまう。

いったん人のせいにして、じゃあどうする?とした方が気楽になれると思う。(あくまで私の感覚)

 

でも、こういう風に自分の手から障害物を手放すことが長年できなかった。親を恨んだり、トラウマ治療で身体感覚を意識し、一時的にしろ苦痛が軽減する体験をしたことがこの考えに繋がったと思う。

 

トラウマ治療がたとえまやかしで、すべて気のせいだったとしても、安全な環境で苦痛が一度和らぐ経験は有益だった。

痛みや苦痛が同じ強度でずっとそこにあると、固着してしまう気がする。そして自分では動かせないものと思い込んでしまう気がする。

 

それが一時的にでも和らぐものだと知ってから、希望が持てたような…。

 

だから今の私は、今晩出た症状も自分のせいではないとわかる。

 

自分のせいではないことは、起きたことを悩まなくてもいい。仕方ない。自責をやめることが全ての好転の大元になると思う。

 

一番ラクになってしまった自責をやめるのは簡単ではないけど、覚えればきっとそっちこそがラクなのだ。

 

深夜に起きて美味しいものを食べて、本も読んで、ブログで気持ちを整理して、いい気持ちで次こそは寝てみよう。

インサイドヘッド2をみた。

夫が風邪で寝込んでしまい、色々あってお盆中の保育園の預けもできなくなり、9日間の自宅保育が決定してしまった。

 

どんよりしたけど、子供とずっと一緒なら一緒で、昼寝もできるし、外出はしにくいけど、まぁこれはこれで何とかやれるかーって感じだった。

 

そんな中で、夫が「今日は体調がいいから出かけてきたら」と言ってくれたので、絶対観たかったインサイドヘッド2を観てきた。

 

以下感想です。

思いつくままに書くので結果的にネタバレになるかもしれない。こんなブログ読んでいる人はいないと思うけど…。

 

1のときも良すぎて冒頭から号泣したけど、今回もやっぱり号泣。

ライリーが健康的に育って、おふざけの島も残ってて、友情の島は大きくなって、家族の島は小さくなったけど、ちゃんと、そして神聖な感じで残ってた。まずそこで感激。

 

2はアイスホッケーを通してのライリーの成長を描いていて、チームの中での自分とか、高校に進学してからどうしよう、という先を見通しての心配がメインの話だった。

そうだよね、この歳の頃にそういう不安や期待、心配とか、先のこと考えるよねって思った。

 

インサイドヘッドを観ているときの自分は、結構正気じゃないというか、単なる物語として見られない。自分だったらどうだろう?自分がこの年齢のときどうだった?その頃の自分が、今の35歳の自分にどう影響している?と、すっごく色々考えてしまうのだ。

 

なんなら、物語に少し集中できなくなるくらい、自分のことについて考えてしまう。

 

それは、「自分」を形作るものは何か、心の奥にあるものはなにか、というとても深いテーマを持つ作品だからだと思う。

 

まず思ったのは、ライリーがとても羨ましいってこと。

アイスホッケーに夢中になれるのは、両親に愛され、ふざけることができ、大好きな仲間がいるからだ。

 

中学生の頃の自分は、それどころじゃなかった。

中2までは、友達と同人誌を描いたりオタ活に一生懸命だった。でもその子と仲違いしてからはそういうものを一切見れなくなり、不登校になった。

親もそんな私にまったく寄り添うことはせず、引きずって学校へ行かせようとしたり、「お母さんがその子に一言言ってやるわ!」と電話をかけられかけたり。

とにかくどこへ行っても何をしても苦しかった。

やりたくない習い事もさせられていた。

 

絵は18歳になるまで熱心に描いていたけど、辛さからの逃避だったと思う。絵じゃなく、ただ単にA4の用紙をエンピツで真っ黒にひたすら塗りつぶしてなんとか気持ちを保ったりしていた。

 

基本的にマイナスをなんとかしてゼロに戻すための活動に腐心してきた。だからライリーのように、好きなものを見つけて、そこに一生懸命になれることが尊すぎて、すごく羨ましいし、愛おしいと思った。自分の子供にはせめてこうなってほしいって。

 

映画を見て、ライリーの気持ちやふるまいを通して、自分自身を見ていたと思う。自分はこうするな、自分もこう思うな、とか。

 

なかでも一番共感というか冷静でいられなかったのは、新しく登場した感情である「シンパイ」がオーバーヒートしてしまうところ。

 

将来の自分の立場を考えて、先読みして行動するあまり、現在や過去の自分がいなくなって、結果的に「自分はダメだ」という自己認識に書き換えられてしまう。

そんな状態で大切なホッケーの試合に出ることになり、ここ数日険悪になっていた親友をケガさせてしまう。

シンパイはさらに心配が加速して、どうしよう…となったあげく、完全にフリーズしてしまう。

 

このときライリーはペナルティでリンクの外に出されているのだが、呼吸が荒くなり、シンパイと同じようなパニック状態になっている。

 

ここで、隔離されていたヨロコビたち(もともとライリーの感情の根幹を司っていた要素たち)が司令塔に戻ってきて、ガチガチに固まってしまったシンパイに離れるように言う。

 

シンパイは涙を流しながらコントロールパネルから手を離し、「ライリーを守りたかっただけなんだ」と言う。

 

ヨロコビたちが戻ったことで、何年もかけて培ってきた自尊感情がライリーに戻り、現実のライリーも「今、ここ」を意識して落ち着きを取り戻す。

そこへケガさせてしまった親友が近づいてきて、ライリーを心配する。親友たちと仲直りして、深呼吸し、試合に戻る。

 

その心の動きが、本当に今の心理学を(たぶん)とても反映して描かれていて素晴らしかった。

 

心配する感情も必要で、でもそれがヒートアップすると自尊感情が損なわれ、身体から気持ちが離れてしまう。

さまざまな感情がバランスよくあることで、多面的な自分を受け入れることができ、難局を乗り切れるようになる。

 

ライリーが「今、ここ」を意識するシーンがものすごく秀逸だった。

指が触れている場所を意識して、ホッケーの音が聞こえ始め、深い呼吸ができるようになった。

心配に支配され、「もうダメだ!」と思っていたライリーは息が上がり、心臓がバクバクしていた。

 

そしてフリーズした脳内の「シンパイ」は、まさに「凍りつき」の状態だった。

 

その、フリーズした「シンパイ」がとても自分と重なったんだよなぁ。2年前、会社でとても苦しかった頃の自分と。

本当にまさにあんな感じだったと思う。

いつも頭の中でシンパイがオーバーヒート。

 

私の中の「ヨロコビ」はそもそも働きが弱いので、ストーリーになぞらえるならあの遠い隔離空間から帰ってこられなかったのだろう😂

 

そのシーンが本当に本当に心に焼きつくように残ってる。かわいそうだったなぁ自分。。。

 

映画を見て、自分が自分らしくいられないいくつかの障壁が見えたような気がした。

 

一つは、自分1人で時間を過ごせないこと。

たとえば都会に住みたいなら、お金を稼いでアパートを借りて好きな時に行けばいい。あるいはホテルに泊まるなりすればいい。でもそれができないのは、寂しいからだ。

1人の夜を1人で抱えきれないからだ。

いつも、友達と飲みに行って1人で外泊するとメンタルがめちゃくちゃおかしくなる。

 

もう一つは、人間関係を築くのに難しさを感じていること。

頑張れば、相手をイヤな気持ちにさせないでいることができる。

でも、仲良くなると相手に踏み込みすぎたり、相手に直接言うことはなくてもものすごくイライラしたりして心の健康によくない。だから近づく相手をとても選ぶし、その付き合いもかなり慎重になる。それでもとてもしんどい。

昔からの付き合いで、私の良いところも悪いところもおそらく理解してくれている友人たちには感謝しかない。

 

そういう障壁はあるけど、自分は自分のこと結構好きな面もあると思った。

 

真面目で責任感が強いところ、けっこうセンスがいい部分もあるところ、相手を楽しませるところ、料理がそこそこ得意なところ、お茶する時間を大切にしてるところ、ここぞという時には忖度せず本音を言うところ、間違いを認めて謝れるところ…

 

映画の中でも、まるでアファメーションのように、ライリーが自分の好きなところを挙げていくシーンがある。(頭の中で)

 

それを見てたら、自分のことがキライになることもたくさんあるけど、好きな部分もはっきりあるなと思った。キライな部分って好きな部分と表裏一体だしね…つまり全て私の個性なのだ。

その個性自体は、いいとかダメとかじゃない。ありのままなんだ。

 

実家を離れたから、こういう好きな部分がわかるようになったのかもしれない。

ずっと親といたら、一人っ子ということもあり、自分を客観視するのが自分には難しかったかもしれない。親からの攻撃をかわすのに必死で。。

自分が何者なのかわからず、問題意識も持てなかったかもしれない。。

 

そう思うと、もちろん親の経済的援助のおかげでもあるけど、外に出て、1人で心の旅をずっとできてよかったと思う。

その結果、自分には好きな部分もあると思えるようになったから。

 

先月、自殺を考えるくらい一時的に追い込まれてしまったけど、それを踏みとどまらせたのは「たしかに自分にはよい面もある」ということをしっかりわかっていたからなのかもしれない。

 

もっと自由に生きたいな。

自分のことを好きな人は挑戦ができている。

わたしはいつの間にか挑戦ができなくなっている。大きなプレッシャーと戦うことがとても怖くて、失敗した時の自分を抱えられなくなっている。

自分の土台がもう少ししっかりしていたら、失敗を受け止められると思う。安全ネットのようなものが心の中にあるというか…。

 

でも、できないわけじゃないと思う。

仕事をやめて、大きなものを失ったと思った。切り捨てることはそのとき確かに必要だった。それでしか、自分を守れなかった。

でも仕事を辞めて、子供が生まれた自分はそんなにダメか?と問いたい。そんなことはない。

 

少しエネルギーがなくなっていたけれど、自分を好きになることはできると思う。

本当は自分が好きなのだと、心の奥底ではわかっている気がするからだ。

 

あと少しで、挑戦ができるようになる気がする。

怖くてもやってみること。

挑戦できる母親でありたい。自由に生きて、幸福を感じている背中を息子に見せたい。

 

インサイドヘッド2は最高の映画だった。

 

映画を見てから、こうしてカフェで思考を誰も見てないブログに残している自分もとても好きだ。