私の人生は孤独との闘いだなと常々思う。
私は一人で長い時間を過ごすことが苦手で、学生時代の一人暮らしは本当に辛かった。
一人で行動することは好きだし、日帰りまでは問題ないのだけど、一人きりで一泊以上すると、孤独が増幅されて耐えられなくなってしまう。
アダルトチルドレンの中には、一人が気楽という人がいる。(結構多い気もする)ここまで一人で生きることに極端な拒絶がある人は、自分以外に見たことがない。
だから、私は「一人暮らしサイコー」と言える人々が心から羨ましい。
もちろん、いまは結婚していて、毎日夫が帰ってくるので、存在の不安を感じることは少ない。
だけど今度は、「この安心基地たる夫がもしも先に死んでしまったらどうしよう」という不安感で心が掻き乱されている。
結婚したときは、本当にほっとした。
「もう、生きるか死ぬかの恋愛をしなくてもいいんだ…」という感じだった。
私にとってパートナーとの別れは死を意識するくらい辛いことだ。自分の半身がベリベリと剥がされて、半人前の存在になるような不安感。
そう、私は誰かと一緒でないと「1」になれない。満たされた一人の人間とはいえない。悲しいけど。
でも、こんな私がパートナーを持たずとも幸せだった時期もある。
それがシェアハウスに住んでいた頃だ。
シェアハウスに住んで、1人暮らしに寂しさを感じる人が他にもいるのだと知った。
それまでは自分以外の全員が、1人暮らしなんて難なくこなせるのだと思っていた。
大の大人、しかもおじさんでも、寂しいからシェアハウスに住んでいるという人がいて、「はぁ?自立しろよおっさん」と思う向きもあるだろうが、私は心からシンパシーを感じた。
私は他人とつかず離れずの距離で共同生活をするのが本当に性に合っている。
つかず離れずとは言っても仲良しの人はできて、夜に部屋をノックして「ラーメン食べに行こうよ」と誘い合ったり、深夜までリビングでだらだらと喋ったりする。
共同生活でストレスを溜めてケンカしている人たちもいたけど、私は無縁だった。
一対一の深い人間関係をずっと続けていると、相手の欠点が深刻に思えてきて仲違いしたりもする。けれど、個々人の生活がベースにあり、余剰の時間で適度にコミュニケーションを取るシェアハウスは本当に理想的な空間だった。
今でも、そこでできた人間関係が続いていたりする。
そういうわけで、夫という「約束された存在」ができたことは福音だったけれど、「知らない人たちと楽しく暮らす」要素は生活から失われてしまった。
夫と知り合ったのもシェアハウスだったので、2人で暮らすためにシェアハウスを出た時は、しばらく寂しい気持ちを抱えていた。
心身の健康において「ゆるいつながり」が大事だと聞くようになって久しいが、自分は年々これを失っていっている。
会社があるので毎日働いている人とは顔を合わせるけど、特にサードプレイスというものもなく、夫と2人きりの生活だ。
飲みに行くのは好きだけど、行きつけのバーを作るのは苦手で、なかなか常連化することができない。
2人暮らしの状態で、外部でゆるい繋がりを作り、孤独やら認知症やらを予防するのが私の大いなるミッションだと思う(経営もだけど!)。
とくに、3年前に夫と地方に移住してきたので、コミュニティを作り切れていないなぁと思う。
何かやらないとと思いつつ、楽な方を取って、迫り来る孤独に恐怖を感じている今日このごろ。
そろそろ会社に行かなくては。。