実家が取り壊し&建て替えの渦中にあり、両親がてんやわんやしている。
私も今週手伝いに帰るつもりだったが、今日母と電話したところ、私が泊まるはずだった場所が思った以上に荷物でいっぱいになってしまったと聞かされた。
まぁ狭くても布団さえ敷ければいいのだが、話しているうちに、不思議なことに気がついた。
実家のある敷地内にはもう一つ家が建っている。そこは普段は人が居住しておらず、母の自営業の事務所として使っている。
風呂やトイレなどの設備があるので、建て替え間、両親はそこで生活することになっている。
私が寝泊まりするのはそこから少し離れた場所にあるアパートだ。
実は、そのアパートこそ、本来は建て替えの間両親が過ごすはずだった。しかし、安普請のその家に、お嬢様育ちの母は馴染むことができず、早々に音を上げてしまったのだ。
そこで、帰省の際は私がそこを使うことになった。
アパートが荷物で一杯な一方、実は母たちが過ごす家の2階はガラ空きなのだ。
なぜかというと、建て替えのこの時期になっても、母がその場所をレンタルスペースとしてヨガインストラクターなどのフリーランサーに貸しているからだ。
私としては、ほぼ口約束で1〜2名の講師に課している超内輪なレンタルスペースなのだから、家の建て替えなんていう一大事には、利用を断った方がいいと思っている。
しかし母…というか、私の先祖たちは「家族よりも他人を優先し、とことん見栄を張る」という謎の原理原則に基づいて行動しているため、一生に一度二度あるかどうか、というこの時にもそれを言い出すことができないのだ。
母だって、本心では自分達が生活しているただの一軒家の2階で、ヨガやら何やらしてほしくないはずだ。だけれど、前々から貸している人たちだから、「建て替えの期間だけは貸すことができない」と伝えることができない。
これは私の推測ではなくて、「そんな理由で利用を断るなんて自分にはできない、そんなことはしてはいけない気がする」と母が言っていたので確かなことだ。
つまり、利用を断れなかったがために、貴重な荷物置き場に置けなかった荷物が、私が寝泊まりする場所に所狭しと置かれている、ということ。
昔から他人をとことん優先してきた母、そしてそれに傷ついてきた自分。
このトラウマティックなパターンがふたたび再現されたことがとても悲しくて、9日間の実家行きが嫌でたまらなくなってしまった。
自分を大切にしてくれない、存在の不安を掻き立てる場所に行くのはとてもつらいものだ。
とくにアパートへ行くのは、積み上げられた荷物がきっと邪魔だろうと思う。それらがまるで「他人を優先した結果」の象徴というか、具現化のようで、とても見たくない。
住宅街に位置するので、近くにホテルはないが、宿をとった方がいいのかなと思う。
今回の帰省では、新調したiphone13proで実家を3Dスキャンし、思い出を閉じ込めておくつもりだった。
それは親のためではなく自分のためである。
色々と辛いこともあったけれど、18歳まで暮らした生家なので思い入れがある。
だから壊す前に最新技術でできるだけのことをして保存しておきたかった。
日程を短くして帰るのであれば、親のためではなく、自分のためにスキャンしたいなと思う。
今はとても悲しいので、一晩寝て、明日になったら自分の気持ちをふたたびなぞってみたい。
子供時代に辛い思いをしたぶん、大人になった今くらいは1分1秒でもリラックスし、自分が好きな人と好きなことをして過ごしたい。自由でありたい。