ACでHSPでカサンドラなフリーランス女の日記

田舎の中小企業で雇われ社長をしていたら鬱になったためフリーランスに転向することにしました。

死にたい季節

神聖かまってちゃんにこんなタイトルの曲があった。春の陽気と、振り切った陰気さのある名曲だった。

何事も強い光があれば、落ちる影はより濃くなるものだ。

 

さて、死にたい気持ちのなか、2/16は命からがらカウンセリングへ行ってきた。

 

数日前に、急に「小さい頃、死のうとした母親に車の助手席に乗せられ、高速道路で猛スピードを出された」という記憶が蘇ってきたので、それを話した。

 

そうすると、「あなたは虐待サバイバーだったんですね。よくここまで生きてきましたね」と言ってくれて泣きそうになってしまった。

 

虐待サバイバーと、人に言われて安心したかったのかもしれない。毒親だ、機能不全家庭だ、と自分では認識していたけど、それは自分をとりまく環境のことであって、自分は一体何なのだろうと思っていた(もちろんACではあるのだが)。

 

その言葉がとてもしっくり来たのが驚きで、とてもよい体験になった。

 

その後、夫と居酒屋に行き、自分の過去について話した。

 

そういう時間を作りたいと思っていたけど、なかなか持てなかった。夫に面倒だとか嫌だとか思われたくないのもあった。

 

でも、回復した上澄みの部分の自分だけを見せるのは違う。そう思って夫に話すことにした。

 

これまでに話せていなかった母とのことや精神科への入院のことなど、いろいろ話した。

 

夫は面倒とも嫌とも言わずに、しっかり聞いて受け止めてくれた。そんな実感があった。

 

夫も、阪神淡路大震災で一番被害の大きな場所で生まれ育った、いわばサバイバーだ。

当時は恐ろしい光景も見たらしい。そんな話を彼からも聞きながら、濃い時間を過ごした。

 

できるだけ埋没できる、静かすぎない店がいいと思った。なので決して高い店でもないのだが、会計は1万円を超えた。普段飲まないくらい私は酒を飲み、夫も今日の農作業ができないくらい寝る羽目になった。

それは申し訳ないけど、でも、とてもいい時間になったと思う。

 

母に傷つけられ、死にたい気持ちが湧いて絶望していたけど、身近な人が理解してくれるというのはこんなに安心で心地よいことなのかと感動した。

 

というかASDグレーで反応の薄い夫が、こんなに私の話を一生懸命聞こうとして、受け止めようとしてくれたことがめちゃくちゃ嬉しかったのかもしれない。

 

すごく愛を感じた。

私がたとえ逮捕されようとも、どうなろうとも愛してくれる、そんな重さを伴う反応だった。

 

人生にはいろいろな季節があって、大きな花を咲かせることもあれば、雨が降らなくて枯れそうになることもある。春に向けて見えない部分に栄養を溜めていたり、実りを他の生き物に分けてあげることもあるかもしれない。

 

いまの自分は決して社会的にもいい状態ではないけど、焦ったり怒ったりしないで、同じテンションで隣にいてくれるのが夫なのだと思った。

 

私は何かあるたび、夫と別れた方がいいのではと悩んだり、なんだかんだ逃げ出す道を捨てずに置いている。でも夫は「出会ってしまったし」とでもいうように、私のことを受け入れ続けている。

 

置かれた場所で咲けというけど、この場所に根を張って、この相手を伴侶として、それを頭でしっかり決めてやってくのは、自分にとって大事かもしれない。