ACでHSPでカサンドラなフリーランス女の日記

田舎の中小企業で雇われ社長をしていたら鬱になったためフリーランスに転向することにしました。

調子良くなりつつあったが

悲しいドキュメンタリーを見て、猛烈に調子が悪くなったが(でも希死念慮まではない)、また徐々に良くなりつつあった。

 

とくに、一昨日の土曜日に友人と会えたのが大きかった。人が集まる催し物に顔を出し、カフェでお茶をした。

途中、社長とその彼女にもたまたま会って、顔を見れたのがなんだかよかった。

 

私にも知り合いがいて、街を歩けば(超小さい街なので)彼らに出会えて、友好的に挨拶を交わせるのだなと。それが嬉しかった。

 

なのに、回復してくると、また残酷な現実とか、人生で起きる影の部分みたいなものを調べて、熱心に見たり読んだりしてしまう。

 

昨日は、事件や事故の遺族のその後について調べてしまった。

 

前回のカウンセリングで、カウンセラーに「副交感神経を優位にするのがいいとわかっていても、なんだか取り組めない」と話したら、「いつ脅かされるかわからない環境で生きてきたら、そうなるのも無理はない」と言われた。

 

今回のこともそれに近いのかなぁ?

傷つくとかよりも、真実を知りたい方がやや強い。興味を持ったらつい調べてしまう。

でもそれって、やっぱり自分の心の状態は無視しているよね。。かわいそう…。

 

案の定というか、今朝起きたら微妙な夢の余韻があり、急に中学の頃の記憶が蘇ってきた。

 

夢は潜在意識だから、起きがけは色々な記憶が混ざっているのかもしれない。

 

夢に中学の同級生が出てきたのがきっかけだと思う。そこから、脳が半分起きた状態で、中学の頃のことを勝手に思い出そうとして。

 

私が中学校に行けなくなったころ、アパートに母と二人暮らしだった。

今思えば、私の不登校について、母は味方になってくれなかった。

引きずるようにして家の外に出されたり(しかも、いつも一緒に登校していた友人の目の前で)、軽い喧嘩をした相手方の家に電話をかけてやると言ったり、過激だった。

 

何があったのかを静かに聞いて味方になってくれる、といったことはなかった。

 

今考えれば、14歳の女の子が、人間関係のトラブルや、学校に行けなくなったという大きな進路変更を1人で抱えていたということだ。

 

その頃の記憶で覚えているのが、いとこたち一家がそのアパートへ遊びにきてくれた。

ショッピングモールの中のパン屋のパンをお土産にして。

 

私はハムとチーズが挟まったサンドイッチを選んだら、母が「そんなの食べるのやめなさい、カロリーが高い」と言った。

今思えば、ドーナツやカレーパン系のパンに比べて揚げてもないし、タンパク質もとれるし、悪いチョイスじゃない。

母の姉が「いいやん、好きなん食べれば」と言ってくれて、パンにありつくことができた。

でも普段は彼女らはいない。止めてくれたからよく覚えていたんだろう。普段は母の言うままになっていたに違いない。

 

今思えば、母はわたしの食べ物にケチをつけることが多かったが、結局食べても良いことになることも多かった。

しかし、「母はこれを食べることをよしとしていない」という気持ちのまま、その食べ物を食べるのは苦痛をともなった。

「この食べ物を好きだと言う自分は下卑ている」という気持ちが残った。

私は脂質たっぷりのカルボナーラやらクリームパスタなんかが大好きだが、今でも人前で食べるのは辛い。夫の前ですら。

家で食べるときは、夫がいない時に材料を用意して1人で食べている。生クリームが冷蔵庫に入っていると思われるのも嫌だから、100mlのを買って使い切り、ゴミ箱の奥の方に捨てる。

 

一度母とスーパーで大喧嘩になったことがある。

17歳くらいかな?私はパスタを食べたくて、母は阻止したくて、パスタの袋を取り合いになって、床に麺を撒き散らしてしまったのだ。

たぶん買い取りになったのだと思う。

 

書きたかったことからずれてしまった。

 

そう、不登校とか、友人とのけんかを、14歳の女の子が1人で抱えるのは無理だったと思う。

母の関心はいつも、私の方へ向いていなかった。

母自身とか、恋人とか、母の親の方へ向いていたんだと思う。

 

母はおむつを替えたりはしてくれたけど、情緒的な面で、子育てはしていないんじゃないか。

 

母に関心をたっぷりもらって、愛された感覚はまったくない。抱きしめられることもなかった。(母自身がされてこなかったから)

 

つまり私は不登校に至るストレスとか、大きな判断をした、という事実を14歳にして1人で受け止めてきた。

そしてリストカットや対人恐怖が始まり、外に出ると嘔吐するようになった。あの頃の、世界との隔絶感や絶望感はすごかった。

 

ただ脳が忘れようとしているだけで、脳の深い部分に今でも刻み込まれているんだと思う。

 

カウンセラーにサバイバーだと言われる前後から、こういう記憶を思い出すようになったなぁ。

でも、ひとつ思い出して、自分は可哀想だったと思ってあげると、なぜか呼吸が深くなる。

 

14歳の娘が、外に出られなくて、出ても嘔吐するような状況なのに、母は寄り添ってくれなかった。とても可哀想だ。

自分が親だったら、絶対そのままにしない。

抱きしめて、話を聞いて、専門機関を探す。

愛をたくさんあげる。

 

そんなことできていたら、そこまでに至らないとは思うけど。

 

そういうことがしてもらえたら、よかったなぁ。