ACでHSPでカサンドラなフリーランス女の日記

田舎の中小企業で雇われ社長をしていたら鬱になったためフリーランスに転向することにしました。

落ち込みから立ち直ることの繰り返し

結局母には長いラインをして、本当に私と連絡が取れなくなっても良かったのか?と聞いた。

「別に良い」と言ったのはいつもの母のハッタリで、本当はそんなこと思っていないとわかった。。そしてすごく謝られた。

今までその場しのぎで酷いことを言って、真実から逃げてきたと。

 

まぁそれでも傷つきからはなかなか立ち直れず、結構落ち込みはした。

でも分かってはくれたし、私が調べたカウンセリングにも行ってくれることになり、すでに1回目を終えたらしい。だから母のことは良しとすることにした。

 

しかしその後、なんと父とも電話で揉めてしまった。

普段は優しくて温厚で、いつも私の味方になってくれる父。ここに詳細は書けないけど、父のコンプレックスでは?と思えるようなことが理由で、突然怒りだしてしまったのだ。

 

さらには、翌日も「もう知らん」的な内容のメールが届く。

メールの中には、私が甘えている、不満を言うけれどお前は恵まれているのだから自覚しろ、年長者への敬意がない…などなど、およそ普段の優しい父からは想像できないような他責的な言葉が羅列されていて、驚いた。

私の住んでいる街へ会いに来る計画も、もうやめます。孫が生まれたら一目会わせてほしい、それまでお元気で的な内容。

 

文面を見た時はショックだったけれど、やっぱり考えれば考えるほど理屈がおかしいと思えてきた。

 

電話で話したのは、ざっくり言えば母に金銭的な援助を私が受けられることになりそうだ、ということだった。

「よかったね、楽になるね」的なことを言ってくれるかと思いきや、「甘えている、そこに違和感はないのか」的なことを言われたのだった。

 

我が家の事情を知らない人だったら、そう言っても仕方ないかもしれないと思う。

 

でも、私には虐待に近い環境で育ってきて、もちろん家を出るしかなく、一番お金が必要な時期に援助が受けられず(母たちは家賃収入で豊かに暮らしているにもかかわらず)、薄給正社員+バイトで東京砂漠を生き抜いてきた背景がある。そういうわけで20代はかなり辛かった。

 

そこから10年近く経って私も30代半ばになり、子供を授かり、やっと母と(曲がりなりにも)和解できたところなのだ。

 

そこにきての援助の話を、なぜ全否定されないといけないのか、1番事情を知っている父親に…。

 

それで思い至ったのが、父の豊かとは言えない生い立ちや、母の家への婿入り後の、祖父母からの冷たい仕打ちのことだった。

父はお金のことで苦労して、大学も奨学金で通い、手堅く公務員→税理士となった人だ。

 

だから私のことが許せないのかな…と思った。

とはいえ、普通に考えればそれは父自身の問題で、私に電話でぶつけることではない。と思う…。

 

そう思ってからはショックが少し和らぎ、また話せるようになったら話そう…と思えた。

でもメールでは、それはお父さんの問題では?というような内容を返信した。。なので、火に油を注いだかもしれない。

 

1週間近く経つが、父からの返信はまだない。

そうかも?と考えるきっかけにしてくれるのか、(私の勘違いだったら失礼な話だし、謝りたいし、それなら父が怒った真意を知りたい)図星すぎて怒り心頭で口をきいてくれないのか、わからないけど…待つしかないよね。

 

妊娠中だというのに、母のこと、父のこととたまたま重なって、体重が3kg近く減ってしまった。。(胃がぶっ壊れた。2週間近く養生してやっと回復気味)

 

そしてダメージを受けて数日は何もできなかった。せめてスーパーまでは毎日歩いて、安い食材を買って料理して…というルーティンが壊れてしまった。

 

何も食べられないし、眠れないし、辛かった。。

 

今は夫の畑が忙しい時期で、本当ならせめて食事を作ることで応援したいけど、全然役に立てなかった。スーパーのお惣菜ばかりで申し訳ない気持ちになった。

 

でも不思議なもので、本当にゆっくりと心って回復していく。

あまりにヤバかったから抗不安剤を飲んで無理やり8時間寝たら体は元気になったし、体が元気になるとほんの少しは動けるようになった。

 

胃もゆっくりゆっくり回復して、量は少しでも好きなものが食べられるようになると、ダメージを受けたのとは違う心の一部がウキウキした。

 

妊娠中で、何かしないといけない義務もなく、毎日体と心の調子を観察している。

 

もはや日常の一部になっているカウンセリングも本当に助かる。

「それはお父さんのコンプレックスだと思う。あなたの問題ではないよ」とハッキリ言ってもらえて、そこですとんと区切りがついた。

 

今日は本当に久しぶりにパソコン関連の勉強を2時間くらいすることができた。

なんなら朝から掃除機をかけ、ヨガをし、ちゃんと3食食べたし、モールで買い物もした。少しだけど夜料理もできた。

 

自分が自分のことを好きでも嫌いでも、心と身体はダメージから少しずつ回復していく。きちんと、示し合わせたように。

それが妊娠して、何もしないからこそよく観察して得られた事実だ。

 

それは自分自身への信頼に繋がった。

何もできないときはエネルギーがないということだし、何かできるということはその逆なわけで、本当にありがたいことだと。

動けない日が結構多いから、それがよくわかって良かった。

 

自分はベストを尽くしているということがわかって、良かった。

 

それから、これは傲慢かもしれないけど、結構みんな自分自身のコンプレックスやトラウマに気づいてすらいないんだとわかった。

母は確信犯だったけれど、父は多分初めて知ったレベルのことだと思う。そう思うくらい反応的というか、反射的な反応だったから。

 

私は思春期の頃から色々な形でカウンセリングのお世話になり、心理学の本を読みあさり、とにかく普通の人のようになろうと必死だった。

自分の育った家のコミュニケーションは異常だったし、自分の性格には明らかに欠点があったので、それを直したいと必死だった。

欠点を素直に認め、喧嘩の途中でも自分の悪いところを指摘されたら突っ張らずに謝るようにしてきた。真実に近いと思うことがあれば、自分のプライドより優先してきた。

 

自慢とかではなく、本当に性格が悪かったから(今も直っていないと思う)、必死で心掛けてきたことだ。

その代わりというか、いろいろな角度から考えて相手に問題があると思ったら、傷つけないように、でもきちんと伝えるようにもしてきた。つまり誠実にコミュニケーションすることを心掛けてきた。何よりも。

 

だから、還暦をすぎて、いまだに自分のコンプレックスに初めて出くわすというのが、わからないというか、みんなそうなの?という感じだった。

 

だし、父は結局、私が苦しい時は優しく話を聞いてくれたけど、やっと楽になれる、というときは共感できなくなるの?と、悲しかった。

 

母は私が社長になったときあまり喜ばなかったし、父は私が豊かになろうとするとき喜んでくれなかった。自分のプライドやコンプレックスが先に来たために。

 

2人を反面教師として、私は子供の成長や成功を素直に喜びたいと思った。悔しいとか、私はこうだったのに、という感情は子供の人生には関係ない。子供の努力や恵まれたことの結果を、子供自身の存在を、心から喜んでやれる親になりたいと思った。

 

父のことは解決していないからか、このことが起きてから睡眠時間がとても短くなった。

何日かに一回は抗不安剤を飲んで調整しないと風邪をひきそう。

まだ、ストレスを受けているんだと思う…。

 

でも、こういう状況でも少しずつ回復していく心と身体、食べてないのにちゃんと元気だったお腹の赤ちゃん。

なるようになるし、なんで私の家族はこうなんだろ死にたいと思っても肉体は死なないし、前進するものは勝手に前進していく。

 

治癒してまた動けるように勝手になってく、これが生きてるってことだなぁと思った。

全てが終わるまで、辛くても、こういうプロセスを繰り返しながら人生やってくのだなぁと。

 

辛いけど生きています。