ACでHSPでカサンドラなフリーランス女の日記

田舎の中小企業で雇われ社長をしていたら鬱になったためフリーランスに転向することにしました。

はじめての鍼治療 〜親と家と先祖〜

鍼治療体験記

 

鍼治療へ行こうと思ったきっかけは、「機能性ディスペプシアに鍼が効いた」という口コミをネットでちょくちょく見かけるからだった。

 

これまで東洋医学というものにあまりお世話になったことがなく、スピリチュアル的なことを避けてわりと科学・現実主義でここまで来たので少し心配だったが、行ってみようかなと思い始めた。

 

そこへぎっくり腰である。

ぎっくり腰って思い切りケガなので、自律神経だとか内臓の病気だとか目に見えないものよりも鍼の効果がわかりやすいのではと思った。

 

そういうことで、おもに胃と腰を主訴として、ガチめに鍼をやっていそうなところを探して訪れてみた。

 

先生は穏やかな雰囲気の、40代くらいの男性だった。

 

まずベッドに仰向けになり、手や足の状態を見てもらう。

長袖パーカー、ジョガーパンツで行ったが、問題なかった。膝から下と肘から先を見ているようだった。

 

それでこう言われた。「心臓と胃は兄弟のような関係なのですが、あなたの場合は胃というより心臓が疲れています。心臓から胃に影響が来ているのではないでしょうか。

それから肝臓も良くないみたいです。肝臓というか、胆のうが出す胆汁がうまく腸に送られず、それで消化が悪くなっているようです。」と。

 

肝臓とか胆のうというのは全く自覚ができないのでわからないけど、たしかに心臓はおかしい。先生には、前の記事で書いたような高所での動悸などは話していなかったけど、心臓バクバク系の不調がいくつもあるのでかなり納得だった。

 

その後、両手足に鍼を打たれ、10分?15分?ほど横になったまま休んだ。

片手片足2本ずつで、計8本くらい打ったのかなぁ。

少しだけ痛みがあって、というより初めての鍼でかなり怖かった。

なので休んでいる間も、「ここでパニックが起きたらどうしよう」という感覚になったり、リラックスはあまりできなかったかも。

 

休んだのち鍼を抜いてくれて、「足首を締めますね」と足首をギュッギュとされる。

骨盤も、「かなり開いてますね」と、左右に転がりながらギュッギュと締められる(ちょっと痛い)。

それから手首も、「手首の使い方間違ってます」と言われて、ギュッと締めるように肘近くを固定しながら、ひらひらと手のひらを動かすよう指示される(これがかなり痛かった)。

 

鍼治療からの突然の宣告

 

「これで今日の治療はおわりです」

と言ったのち、「ちょっといいですか」と先生。

 

「初めて来ていただいて、こんなこと言うのは何なんですが、あなたはお墓参りには最近行かれましたか?」と。

 

え??(・o・)

 

「地元がかなり遠く、しばらく行ってないです」

 

と言うと、「あなたの家系の3番目のご先祖様がしっかりと供養されていないようです。寂しがっているようなので、お墓参りに行ってみてはいかがでしょうか」と。。。

 

何それ???急にスピなの????

 

と思ったけれど、「あなたの場合、いまの症状は恨みや憎しみの感情から来ているように思います。」と言われて、ズガーンと衝撃を受けた。

 

実は最初の問診で、精神的なことの悩みや、これまでの人生とにかく大変だったことを少し伝えてあった。(詳細は話していない)

 

でもまさか、「墓」の話に繋がるなんて。

お墓って、先祖とか家そのもの。

 

実は母とは関係を再構築できそうだと少し安心していたけど、先祖や家に対してどう捉えればいいかというのが、ここ最近の課題だった。

 

それをまさか、胃の主訴で訪れた鍼治療院で言い当てられるなんて…

本当に驚きだった。

 

さらに、「お母さんを恨む気持ちがあなたの中にまだ残っていますよね。それもずっと残って体に影響を与えるんです。さらにお母さんを恨むと、お母さんもあなたを恨むようになるんです。」と。。怖!

 

事前に軽く東洋医学について調べていて、「心身一如」(こころとからだは繋がっている)という考え方など、まるで最新の心理療法と同じだ、と思ったこともあり、本当にそうやって見立てることがあるんだ。と驚いた。

 

「断ち切る」という毒親・ACへの対処法について

ACや機能不全家族系の問題の大家・信田さよ子さんの本など、いくつかそうした本を読んできた。

 

その中で比較的言われているのは、「とにかく離れる、縁を切る」ということ。

そして徹底的に恨んで、自分の人生を新たに生きていく、ということ。

 

今も継続して何か被害・ストレスを受けているなら、それは有効だと思う。

私自身、実家を出て物理的距離を取って体も心も調子が良くなったし、それが普通になってよかったと思う。

 

さらに、3年間まったく連絡を取らない期間を作ったことで、精神的にも「一人でやっていける」という自信がついたことがあった。

 

…だけど。

とくに3年間連絡を取らなかったときの自分は、大事なものを切り捨てて必死で荒波の海原を進んでいる感じで、とにかく必死だった。

リラックスとか安心とかは全くしていなかった。神経を高ぶらせて、扁桃体ビンビンにしている感じ。

 

結婚を機にまた少し母と連絡するようになり、年に数度会うようになったら、この異様に張り詰めた感じというのは少し和らいだ。

 

今は、時々会っても大丈夫な状態に持っていきたくて試行錯誤している感じだ。

しかし、この、プロセスを一周とりあえずやってみた私に対しても、「親とは距離を取るべき!近づくから傷つく!」ということを言ってくる人はいる。

 

私はAC関連で聞く、「断ち切る」ということは、程度とか、タイミングとかがあるように思われてならない。

さきほど書いたように、生まれてこの方親と一緒に暮らしている、嫌いなのに依存していて調子も悪いのに離れられない。という状態なら、一度離れてもいいと思う。

 

だけど、メリットよりもデメリットのほうが大きくなるなら、必ずしも「断ち切り続ける」ことはしなくていいのではと考え始めている。

 

どうすれば穏やかに墓参りができるのか

 

人に話してわかってもらえるか微妙だけど、私の場合は、親との関係を完全に断ち切っていたときの心理状態がかなり悪かった。友達やらデート相手やらに支えられて、何とか生きていたけど、何とか生きていただけだった。

 

ACの人からしたらヘドが出る感覚かもしれないが、自分のルーツに感謝し、先祖や親に肯定的な気持ちを持てたら、その末端である自分に対してもやっぱり肯定できると思う。(そういう人超羨ましい)

目には見えないし、何も証明できないけど、地に足の付いた安心感があると思う。何者にも代えがたいんじゃないかと思う。

 

だから私の体感では、「断ち切る」というのはあまり長い間できることではなく、すごく体と心に負担をかける行為だった。(その時は断ち切ることのほうがメリットが大きいからそうしていた。副作用の多い治療のようなもの)

 

しかし母に親子の縁をかけて話し合いを迫り、母も逃げないと言ってくれた今は、断ち切るのではなく、この憎しみや怒りにどう折り合いをつけるかが課題だと思った。

 

よく、「人を憎んでもなにも始まらない。かえって自分を傷つけるだけ」と言うけれど、それって、ものすごく酷いことをされた人に対してもそう言えるの?と感じる。

私は、笑ったり泣いたりするように、人には恨んだり怒ったりする自由もあると考えてきた。親や先祖に憎しみがあるなら、好きなだけ憎めばいいと。

 

だけど、それで病気になってますよと言われたら、どうしたらいいのだろう。

そんな鍼灸師なんてヤブだ!と言うのは簡単だけど、でも確かに、ずっと恨んでいるなんてイヤだよなぁ。という素直な気持ちもあるのだ。

 

先生は「あなたの先祖には、そうじゃない(親みたいじゃない)考え方の人もきっといますよ」と言っていた。

 

確かに自分は母を飛び越えて「家」を恨んでいるので、恨みの対象が壮大なのかもしれない。もうちょっと見方を変えたら折り合いがつくのかもしれない。

 

とにかく「墓」とか「家」とかが大嫌いなまま18歳から今まで地元を出ているので、本当に今日の発言は衝撃的だった。

 

しばらく考えることになると思う。