ACでHSPでカサンドラなフリーランス女の日記

田舎の中小企業で雇われ社長をしていたら鬱になったためフリーランスに転向することにしました。

母が来ている

母は自分でNPOを作って活動している。

関連団体での研修が私の住んでいる近隣県で開催されるため、それに参加しがてら顔を見に来てくれている。

 

今のところ大爆発は起きずに過ごしている。

 

が、母から驚く話を聞いてしまった。。

 

私の両親は離婚していて、父の方は長年国税にかかわる仕事をしていた。

 

マルサの女が大好きで、今じゃ絶対NGだが、税務調査の対象となった家宅に行って、タンスをひっくり返して隠し預金を暴き、税務署長賞を何度も受賞していたというのだ。

 

私は父と関係がこじれて2ヶ月になる。

その発端は、母との関係が修復でき、これから子供も生まれるため生活費の援助をしてもらえるということだった。

 

その話をした途端父の態度がかたくなり、共感的でなくなり、「急にどうしたの、おかしくない?」と問うたところ「もう知らん」と言われ今に至る。

 

父は子供の頃から大変お金に苦労したらしい。

 

母に聞いたところ、ずっと大工をしていたと思っていた父の父(わたしの祖父)は人付き合いが極端に苦手で、途中から無職となり、祖母が保険外交員として生活を支えていたらしい。

 

しかも父の大学受験の年に家が全焼するという不幸にも見舞われている。。(父は奨学金で私大へ進学した)

 

お金というものにとてつもなくコンプレックスがあるのだと思う。

 

そして、実家に頼れずに1人で頑張っていた私のことを同志だと捉えていたのではないかなと。

 

なのに、私が急に母の援助を受けられることになったので、そんな私が許せなかったのかなと、、。

 

 

いま父との直近のメールを見返しても、電話の内容を思い出しても、やっぱり噛み合ってないというか、父のことが理解できない。

父も私のことが理解できないと書いてあるけど。

 

「親に援助を受けることに違和感をもたないあなたに私は違和感があります」と書いてある…。

 

本当にわからない。

 

もう私にできることはないし、私は私の問題を自分で片付けていくしかないように、父は父の問題を自分で片付けるしかない。

 

彼は問題に一生気づかないかもしれないし、気づいても片付けようと思わないかもしれないし、片づけきれずにタイムリミットを迎えるかもしれない。

 

どういう結末を辿っても、もう仕方ないことだ。

 

残念だけど…。

 

でも親と仲が悪いというのは、じわじわ心身を蝕むので、もし私のことを愛しているのなら真実を直視してほしいなと願うけれど。

 

何かを得たら何かを失う。

 

今私は自分のこれまでの人生や、価値観や、認識を改める大きな転機の渦中にいる。

 

9年働いた会社で社長になり、病んで、仕事を辞めて、子供ができて、長年わだかまっていた母との雪解けが来て、父とは逆に遠ざかった。

 

大きな潮流が変わろうとしていて、そこをどう乗りこなすか、こなせるのか、溺れるのか、船を作り出すのか、それは私次第というところ。

 

妊娠に伴う体調不良も相まって、ご飯が食べられなくなったり、ぎっくり腰になったり、パニック発作が起きたり、体調が限界になり、あぁ本当に見直さなきゃダメなんだと思った。

 

だから引き続きカウンセリングに通い、鍼にも挑戦し、自宅でも白湯を飲み瞑想し、幼少期に正しい使い方を教われなかった自律神経をなんとか整えようと養生している。

 

働かなきゃとか、家計を支えなきゃとか、もっと出世しなきゃとか、今までのバリキャリ風の生き方とは全く違う方向へ舵を切って、人生を大きく変えている。

 

そうじゃなきゃ心も体も限界だったのだ。

30代も半ばになり、若さだけで何とかならなくなってきた。

若さなんていうのは気持ち次第と思っていたけど、どうやらそうではない。

 

逆境的小児体験についての本を読む限り、思春期の頃に最初のつまづきをおぼえるひとが多いのは、その頃に大規模なニューロンの刈り込みが行われるからだと。(私も小児期逆境の最初の影響は思春期に不登校リストカット・対人恐怖という形で出た)

 

そのようにして、大人になって必要な数のニューロンだかシナプスだかが足りないままになるのではないかな。

 

だからこの年代になって無理を感じるのは当然なのだと思う。子供の頃の逆境体験はまるで時限爆弾のように体を蝕んでくる。

 

今は、産後の仕事をどうするかとかまるで考えられないので、(考えないようにしているので)本当に養生の時期だ。それもあと3ヶ月で終わってしまうけれど…。

 

元部下の人とか、バリバリ働いていたころの知人は、「いくらでも転職あるでしょー!」と言ってくれるし、スキル的に見れば転職可能だと思う。

 

でもそれはもう無理なのだ。そういう生き方は無理だし、諦めないといけないのだ。ということが、この養生ライフを始めて(ほんの1ヶ月とかだけど)やっとやっと理解できてきた気がする。

 

仕事を休み始めてから、来月で1年になる。

信じられないくらい早いし、自分が1年も仕事してないなんて!と驚く。

 

こんなに生き方を大転換する羽目になるなんて本当に、まったく思っていなかった。

バリキャリとして高みを目指して、どんどん会社の利益を伸ばして自由を掴むんだ!と思っていた。

 

人生はわからない。

でもこれが転落だとかは思わない。

あるべき等身大の姿になっただけ。

縁があって、この元事務所から徒歩15分の立地から去れることになりそう。はやく去りたい。

本当はこの県から去りたいけれどそれは無理だからね。一緒に働いていた人たちも、いつでも会えば盛り上がれるくらい仲良いしね。

 

まだ迷いはあるけど、今本当に人生を生きているって感じがする。

道がまだ定まらない、猪木じゃないけど、自分で道を作って行ってる渦中。どう転ぶかもわからない。。

 

夫と、まだいない子供と、小さな小舟で漕ぎ出しているような感覚。

 

自分が何をやりたいかももうよくわかんない。

よく考えれば何をやりたいかで仕事して来てなかった。。役に立てるからそこにいただけ。

 

今度は本当に楽しいと思えることだけしたい。

もらえるお金が少なくても満足できるような。

それくらいのものが見つかったらいいね。

 

母とも仲直りしたわけだし甘えればいい。

母が痛みを伴って、今度こそ私のことに向き合ってくれたんだから、それは人生最大の喜びだ。

 

一日一日の、この新しくて何が起きるかわからない出産までの日々を噛み締めて、生まれたら忙殺されて、それから金勘定はすればいいさ。

 

不安だけど…

でも実家の援助もあるし、死ぬこたない。

退職金も入るしね。

 

なんとか生きていこ。。