ACでHSPでカサンドラなフリーランス女の日記

田舎の中小企業で雇われ社長をしていたら鬱になったためフリーランスに転向することにしました。

眠れない

前回の日記と同じような状況。

息子が初めての風邪をひき、それが移って38度の熱が出てしまった。

本当に子供から風邪が移るんだなと思いつつ、この後の予定を圧迫しないかとても不安になっている。

 

余裕がないと、自分の弱いところが出るものだと思う。

私は常にたくさんの不安を抱えていて、体調が悪くなるとそれが大きくなりすぎて、手に負えなくなる。そして最も睡眠を必要としているにもかかわらず、眠れなくなる。

 

今日は21:30に床に就いた。

息子は夫と寝てもらって、あす夫が出る7:30までは眠れるはずだった。10時間もあるので、少し小説を読んでから寝ようとしたけど、当たり前のように眠れない。

 

体がほてっていたので、アイスノンを使って。

アセトアミノフェンと、抗不安薬を飲んで。…でも、眠れない。

 

最終的に、瞑想アプリだ、と思って携帯を取りに行ったら、ちょうど息子が起きてしまったようで夫と寝かしつけに格闘。

でも全然寝なくて、1時間近く粘ったけどゴメンと言って寝床に戻ってきてしまった。

でも階下からは息子の泣き声が聞こえてきて夫に申し訳ない気持ち。。これからまた私は助けに行くだろう。

 

38度の熱なのに…。

休んでていいよと言ってくれない夫も夫だけど、夫とて明日はバイトが入っているから必ず行かないといけないのだ。。

 

体調が悪い時にこうなると本当に胸がギュッとなるほどつらい。もう全て放り出して誰も来ないホテルの部屋でぐーぐー寝たくなる。

 

結局、不安感とか義務感とか、そういうものが強いから眠れない。まぁなんとかなるでしょ!と思えていたらここまで眠れないということはないし、そもそも風邪を引かなかったと思う。

 

私はこれからも息子の風邪をもらいまくるんだと思う。特別免疫が低いとかではなく、不安症で睡眠不足だから。そしたら誰だって風邪ひくよね。

 

1週間後の帰省に障るんじゃないか、4日前友達と話した時言いすぎたんじゃないか、LINEの返信が来ない人にはしつこくしすぎたのかも、明日の家事代行の代金1万円を崩せてないからちょっきり払えない、息子は大丈夫だろうか、父親はまだ私に怒ってるだろうか、4年連絡を返してないあの人は私を嫌いになったかな、入園準備間に合わなかったらどうしよう…

 

こういう不安が私を睡眠から遠ざけ、張り詰めた気持ちにさせ、免疫を下げる。そして風邪をひいて、さらに不安を呼び込むことになる。

 

これはなんとかしないといけない。

まぁまぁ健康にやっているかと思っていたけど、そんなことはないんだな。体の芯がカチコチで、心から安心するということがない。。

 

つらいなぁ。

はやる気持ち

眠れない。

きのう、あまりにも眠れなくて本当に体調が悪くなりそうで、今日こそはと思って22:30には布団に入ったのに、0:47の今まで眠れてない。

しばらく前から寝床にスマホを持ち込むのをやめて、安眠できるようになっていたけど。

今はあまりにも眠れないので開き直ってスマホをみている。

 

昨日ぎゃーッとなった大きな要因は保育園の準備物のことだった。

保育園の入園説明会には私が行ったために、必要物の説明も私が聞いた。だからそれらを揃える責任者は家庭内で私になっている。

 

産後、ADHDみが強く出ていて、うんこを流し忘れるわ、毎日脱水にかける息子のお風呂マットを洗濯機から出し忘れるわ、忘れ物魔人になってしまったこの私が!準備物の責任者!

 

しかも入園式まであと10日程度となり、気持ちも焦ってくる。何が揃っていて何が足りてないか、そういう管理が苦手だし、できるものは手作りしたい…なんていう母性まるだしの欲求も顔を出し、いよいよ追い詰まってきた。

 

昨晩は本当に、やらないとヤバい!となり、深夜3時に手作りした通園カバンになまえシールを貼り付けたり、足りてない物品をAmazonでポチりまくり金で解決、(手作りは、諦め…)それで明け方やっと眠れたのだった。

 

でもよく考えたら今週末は都内の友人のところへ訪ねる予定もある。それを思い出して、さっき特急の切符をとったりした。

それも一大イベントだから、日曜日までに体調を崩すわけにはいかないのだ。一番怖いのは乳腺炎。。

 

自律神経のバランスが物心ついたときからおかしくて、大事な予定の前は大体眠れない。

直前じゃなくても、近づくだけで眠れない。だから大事な予定の付近は大体体調が悪い。

昼寝でカバーできればいいけど、夜眠れない奴が昼寝なんて高度な技を使えるわけない。活動すべき時間にリラックスしてあまつさえ寝るなんて、扁桃体が過敏な「戦うか・逃げるか」マンには無理な相談なのだ。。真っ昼間に寝ていたら誰にどう攻め込まれるかわからない。

 

かわいそうな人間だな〜

夜くらいスヤスヤと寝ろよ…私よ…

 

そして、左側には4ヶ月のちいさな息子がスワドルにくるまれてぽつりと置かれている。

それも安眠を妨害するマターである。

物音や光で起きたら困るから。

眠いのに眠れなくてしかも息子の世話をしないといけないのはキツい。

 

書いてるうちに少し交感神経が落ち着いて来たような気がする。もう今日はどうしたってダメだ。それを認めて、寝れる時に寝ようかね。

 

明日もなるべく早く寝れるようトライすれば、最悪の事態にはならんやろ。というか、今まで眠れないこのボデーと35年付き合って来て、眠れないから約束をフイにしたってこと、ほとんどないやろ。眠れないながらに、ギリギリの体調でもなんとかかんとかその日をやり遂げてきたやん。

 

自分はよく頑張っているよ。

 

今日は息子を一時保育に預けられる日なので、そのわずか3時間の間は有意義に使おうよ。

なんかおいしいもん食べて。

ケンタッキーか?サイゼリヤか?(ジャンクやな)

必要なもん買って。趣味のもんも買って。

夢中になってる経営ゲーム進めて。

昼寝は無理だから諦めて。

そうこうしてるうちにあっという間に迎えの時間で。

そんなふうにきっと一生懸命に明日も終わってくだろう。

 

ちっちゃい息子とやさしい(けど酒でゴミになる)夫との尊い日々。眠れなくて超しんどいけど、神様このかけがえのない愛おしい日々を私にくれてありがとう。

大人2人では感じられなかった、今日よりも明日確実に成長する感覚を、それを感じさせてくれる小さいいきものを与えてくれてありがとう。

 

こんな日々も過ぎてしまえは思い出の一ページになると思って。昨日はそんなふうには思えなくて大荒れだったわけで。

今日はそう思える余裕が少しでもあることに感謝。ひとつずつ毎日確実に何かをなして、進んでいくこと。自分はよくやっている。

 

眠れますように。

いや眠れなくてもいい。どっちでも、尊い明日が来るよ。

夫への不信

産後ケアセンターで少し癒されて自宅に帰ったら、夫が寝ていた。朝10時。

 

前の晩深夜2時まで知人宅で酒を飲み、タクシーで帰ったらしい。

 

私が帰宅して少し起きたけど、昼食を食べてまた寝て、次に起きたのは19時前だった。

 

産後ケアセンターに行っている間、夫も体を休められるだろうと思った。

 

でも結局深酒。

飲酒すれば体は疲労して、翌日も夜まで動けなくなる。

 

もちろんその間の息子の世話は私がした。

全然お昼寝しなくて、色々やりたいことはあったけれどあまりできなかった。

 

私はなんだかこのことにすごくショックを受けてしまって、今もワーワー泣いて眠れずにいる。

 

ケアセンターで過ごしたのに、体はやっぱりすごく疲れていて、今日は2階の寝室で1人で寝かせてもらうことにしたのに。

 

寝たくない、と思う日は大体心の奥に納得いかないことがある。

もういい加減寝よう、としたときにそのことが首をもたげてきて、見たくなかった感情を見ることになって、結局涙が出てくる。

 

なんていうか、学習性無気力みたいなのもこの問題の中にある。

 

言ってもどうせ無駄、という感覚が強くある。

 

夫といて幸福でない瞬間が多くなってきて、でもそれを言っても改善されないとわかっているから、口をつぐんでいる。

 

夫と息子と3人の生活が、苦しい。

心が元気だったらまだやれると思うけど、元気になれない。

このまま、ゆっくり花が枯れていくように病期になるんじゃないかと思っている。

 

夫は私を幸せにしてくれないんじゃないか。という疑念が大きくなってきている。

別に幸せになることについて受け身であるつもりはないけど。

 

この問題を解きほぐそうとしたら、なんだか喉の辺りに違和感がある。

声が出ない、というかアウトプットできないような感じ。この感覚はなんなんだろう。

 

夫がお酒を飲むのが嫌だ。

前回も飲みに行って、頭を怪我して帰ってきたし。

その後私のいとこが遊びにきて飲んでいたときも、酔って息子を床に落としたし。

 

そのことを思うと、息が苦しいような感覚になる。この生活から出られないという感じ。

 

とくに夫が怪我をして帰ってきたときはかなりショックで、恐怖が強かった。

 

体がこわばる感じ。息が苦しい感じ。

 

一度ケアセンターに行き離れてみて、それで日常に戻ろうとしたらイヤな状態になっていて、苦しくなった。

 

こんなふうに雑にしか語ることができない。

一体この問題の何が、そこまで私を苦しくさせてるんだろう。

 

今すぐにでも、この家を出て逃げたいくらいの嫌悪感がある。

 

父の酒癖があまりよくなかったことと関係あるのかな。

 

家を出たいし、自傷したくなっている。

とてもよくない。

 

せっかく1人で寝させてもらっても、寝れる気がしない。苦しい。

 

一緒にいても喜びが、ない。苦しめられてる。

私の方が育児も家事もやる羽目になってる。

夫のため息を聞きたくない。

愛情表現がないのもきつい。

いやそれが一番きついのかもしれない。

小さな約束を守ってくれない。

私って何なんだろう。

自分というアイデンティティが霧散してく感じ。

何も感謝もされない。ただあるだけ。

この家庭の中で意味をなさない存在。

確かにここにあって、必要とされて、愛される、そういう、確かさみたいなものがないのがキツイ。

 

自分って何なのか。

彼はこの家でただシェアハウスやりたいのか。

 

意味のない存在なのに、この家にいなくてはいけなくて、息子がくさびのようになってて。

 

夫は来月もお酒を飲むイベントに参加する。都内まで行く。帰ってくると言ってるけど、帰ってこれないならもう気を持たせないでほしい。

 

私は実家に行くことはできるけど、そこも別に安心できる場所じゃない。

父にも連絡を無視され続けてる。

 

つまり私が安心していられる場所はこの世にないのだ。

 

死んだ方がいいなぁ。

死ねるならとっくに死んでるし、生きる方を選んだから子供まで作ったけど、辛すぎる。耐えきれん。

 

小さい頃にトラウマを植え付けられて、大人になってもことあるごとにそれが再現され続けて、要は「死ぬかと思った」体験が同じように何度も何度も繰り返されてるわけで、これは何ていう地獄なんだろう。

 

文字にしたら改めて絶望するなぁ。

この世に安心できる居場所がないって。

そういう仲間がいたこともあった、そういう場所に住んでたこともあった。

でもそういう時代は過ぎ去って。

 

苦しいなぁ死ねたらいいのになぁ。

 

私が怒鳴らないのは、怒らないのは、怒鳴っても何も変わらない、また同じことが繰り返されるのがわかってるから。

怒鳴っても、飛び出していく先なんてないから。

 

下手こいて、息子が児相送りとかになったら困る。私にとっても、息子にとってもつらいことだ。

 

あーそうだね、だから学習性無気力みたいになってるのか。息子が人質なんだ。

 

別に夫に経済握られてるわけじゃないけどね。

むしろ一銭も生活費入れてくれてないけどね。

そのことについて何の話し合いも向こうから持ちかけてこないけどね。

そういう不信もある。

 

こういうことで眠れなくなって、明日も苦しい。

ただでさえそれは辛いのに、息子がいる。

息子は健やかに保たなきゃいけない。

 

この間の乳腺炎、やっぱり疲れだって。

でも疲れてるから休ませてあげようとかきっとないよね。自分だって疲れてるんだし。

 

私が40度の熱だして、まずため息つかれたこと一生忘れないと思う。

 

自分は?

お酒飲んで、次の日夜まで寝て、息子の世話しなくて。

別になんの埋め合わせもしない。

ごめんとはいうけど、だからって何もないいつも通り。体きついまま畑にいく。

 

私は彼のことが嫌いになりそう。

産後ケア施設に来てみた/好きなものを持つこと

私の住んでいる県では、3泊まで県内の産後ケア施設を利用することができる。

費用はかなり助成されて、なんと3泊で1万円。

子供が4ヶ月になるまでしか利用できないのと、私も夫もそろそろ2人だけの育児にくたびれてきたので来てみることにした。

 

施設はとても良い!わりと赤ちゃんを預かって私1人にしてくれるし、ジャグジー付きの温泉に入れるし、食事もヘルシーでおいしい。

母乳の悩み相談にも乗ってくれて至れり尽くせり。

 

心も1人きりになれた感じがする。

ほんとに、ちょっと見ててくれるだけでいいんだよ…子供のことを気にしなくていい時間って本当にありがたい。

家でも子供が寝てくれてたら一応1人にはなれるけど、やっぱいつ起きるかな?ってヒヤヒヤしてるんだよね。。

 

そんな1人になった心でいろんなことを考えている。

 

すごく仲のいい友達に「出産祝い考えておいてね」と言われたこととか。

大切な友達だから、ずっと使えるものや、ずっと置いておけるものをもらえたら嬉しい。

 

おむつポーチか、サンリオのメリーがいいかなと思っている。

 

サンリオのメリー、調べようと思ってずっと放置してしまってた。

改めてサイトを見てみたらとっってもかわいい。

果たして男の子でも気にいるか?は謎だけど。けろっぴやポチャッコなら好きになってくれるかな?

 

そこで思い出したことがある。

 

前回のカウンセリングで、「自分の好きなものは心の中の栄養になって大変な時を支えてくれる」という話になった。

 

というのも、私は自分の好きなものをうっすら卑下しているから。

自分のような人間が好きなものは、たいしたことがない。世間ではさげすまれる。

そんなふうに思っている面がある。

 

これが、例えば「自分の尊敬している人が好きな物」だと、無条件で「これ、いいよね」と人にも言えてしまう。

でも自分発信で見つけたもの、好きになったもののことは素直にそうとは言えないのだ。

 

昔からサブカルに分類されるものが好きで、メジャーどころの音楽や本、映画を好きになれなかったのも一因だと思う。

 

クラスの友達がジャニーズの話をしているとき、自分は笠置シヅ子とか昭和のアニメソング、嘉門達夫に夢中で、給食の時間にアタックNo.1のテーマをリクエストして流してもらって失笑を買ったりしていた。(今になれば、なんて有望な小2なんだ!と思うけど)

 

思春期に入ってからはたま、戸川純人間椅子P-MODELなどのサブカル系邦楽や邦ロック、80年代洋楽、洋楽ポップスが好きになったが、学校に行かなくなったので語り合える人はおらず孤独だった。

 

まぁ実際変な音楽だし、人にわかってもらうのは困難だと思う。でもその辺の趣味を親に否定されまくったのは、とてもショックだった。

 

あとは食の好み。私は昔からこってりしたクリームパスタとかグラタンが大好きだった。

とくにカルボナーラが好きだったけど、健康志向の母親にはそういう好み自体を否定されていたと思う。

 

子供の頃だから食事は基本親が管理している。週に何度も食べるわけじゃないのに、誕生日にレストランでカルボナーラを注文したら母に睨まれて、「そんなもの食べて」と怒られた。

それでも一緒に行ったおばあちゃんか誰かが、まぁまぁいいじゃないと言ってくれたのかな?それで注文したけど、食べている間じゅう母は私のことを睨みつけていた。

 

そういうことの積み重ねで、私は自分の食の好みを恥じるようになった。

私の父方の祖父は糖尿が原因で亡くなっていて、父も糖尿病。そして私も父の体質を引き継いでしまい、発病はしていないけど少し血糖値が気になる。

だから母も心配でそう言っていたんだと思うけど、脂っこいものが好きなのって変わらないし、それも込みで自分。

 

とにかく食行動を批判され続けて、自分の食の好みは下卑ている、卑しいと思うようになった。

だから自分と同じような食べ物が好きな人は、同じように下卑ていると思うようになったし、逆に尊敬する人と好みが似ていたら、「こんなきちんとした人が、何で?」と思ってしまう。

 

だからいまだに人と食事に行って、カルボナーラとか明太クリームパスタとか(大好き)を注文するのは怖い。怖いといっても、注文はできるんだけど、何かコメントされるのがとてもいやだ。(おいしそう、とかでもイヤ。)

シェアハウスに住んでいたころは料理するところを見られるのがかなり苦痛だった。

 

今も夫に、そういうものを作っているところを見られるのが苦手。夫にはそこそこ何でも言えるから、来ないで!見ないで!何もコメントしないで!と言えるけど。。(夫は私のやることにいい意味でまるで関心がないので、はいはいと言って立ち去っていく)

 

話が逸れたけど、だから私は自分の好きなものについて、心から好きだと言えなくなってしまった。

 

でも前回のカウンセリングの中で、自分の好きなものは、自分を強くしてくれるという話になり、そのようなイメージをしてみたら確かに力をくれるような気がしたのだ。

 

多分だけど人間は、自分1人きりでは内側から自己を肯定したりするの難しいんじゃないかな。

適切な人との関わりの中で、人を鏡にして自分の相対的な位置を確認したり、好きな物で自分の応援団を作ったりして、なんとか世間の荒波を乗り越えられるんじゃないかなぁ。

 

みんなそういうオプションをつけて世の中に出てくるのに、自分はつけてないどころか、色々剥ぎ取られた状態でバーンと出ていったために、まず不登校になったのではないか。と思う。

 

めちゃくちゃ話は飛んだけど、サンリオのメリーが可愛すぎてそのようなことを思ったのだ。

 

人生で初めて出会うお友達。

親からの愛情がたっぷりもらえれば、溢れた分は形を変えて、メリーのぬいぐるみや毛布に移っていく。

それは子供の応援団になって、少しの間親が目を離しても、代わりに愛情を与えてくれる。子供はそれで、1人でも大丈夫だと理解していくんじゃないかな。

 

よく、毛布やぬいぐるみが手放せない子がいると聞くけど、それはちゃんと愛着が得られているかららしい。

私は愛着形成に思いきり問題があったので、親代わりになるものはなかったし、ぬいぐるみに愛着を感じることもなかった。

 

だけどサンリオのメリーのぬいぐるみをめちゃくちゃかわいいとは思う。

子供にたっぷり愛をあげて、そのこぼれた分がかわいいぬいぐるみにも注がれて、私の分身になったら、それはなんて最高なことだろうと思う。

 

自分もそういう小さな友達が欲しかった。

ママがいなくてもまいっか、この子と遊んでいようと思えるようなお友達が。

 

トイストーリーじゃないけど、そういう小さな友達のことはいつか忘れるくらいでもいい。

覚えてないくらい小さな頃に、たしかに子供の成長を支えて、健やかに育つアシストをしてくれる存在があったら、それは本当に最高なこと。

 

好きなものがあるってそういうことだと思うのだ。

だからカウンセリングでワークをしたとき、「みんなこんなラクして生きてたのか!悔しい!」と思わず口をついて出た。

 

子供のときにそういう経験をしていれば、多分大人になっても心の中の部屋に好きなものをしまうことができる。それは自尊心をくれる。

みんな1人きりでは生きられないから、みんな実は心の中に応援団を飼っていて、傷ついたときはヨシヨシしてもらっている。きっとそうなのだ。

意識してても無意識でも。

いい歳こいたおっちゃんおばちゃんでも。

 

自分には無理だったから、子供にはそういうふうになってもらいたいな。

まずはコップの水が溢れるくらい、もういらんってくらい愛してあげないといけない。できるだろうか。。

高熱が出た 長い話

10月にコロナになって以来の高熱が出た。

夕方まではなんともなく、デパートでお刺身を買ってウキウキで帰宅したのに。

 

16:30頃、なんか寒い?と思ったが、スリッパを履かず裸足で少し家の中を歩いたせいだと思い、カーディガンを羽織って靴下スリッパを履いたけどなかなか暖まらない。

 

今日ってほんとに寒いんだなと思い、エアコンと謎の暖房(レンガをあたためるやつ)をW使いし、羽毛布団にくるまって30分ほど横になったけどどんどん寒くなってくる。

 

ここでやっと、え、もしかして熱出てる?

となり、熱を計測。すると37.0度で、微妙な感じ。

やっぱり寒気が引かないので、15分後にもう一度計測すると37.5度。ありゃりゃ、これは風邪かな?と思っていたら、あれよあれよという間に39.8度まで上がってしまった。

 

右胸がやや痛いので乳腺炎とかであってほしい!

(イヤだけど!)けどインフルか何かな気がする😔

今のところ熱以外目立って症状はないけど、鼻が少し詰まり始めた気もする。。

 

SNSに書いたら、友人も全く同じ症状でインフルA型だったとのこと。

明日病院に行くしかないけど、インフルじゃないといいなぁ、、

 

申し訳ないのは、夫に息子の世話を丸投げしてしまうこと。明日は大丈夫なようだけど、明後日は職場に行きたいらしい。

職場といっても週1のアルバイトなのだけど、夫はたいへんお世話になっているし、週1バイトとは思えないホワイト高待遇を受けている。

だから私も行ってほしいけど、さすがに家族がインフルじゃだめだよね。申し訳ないな。。

 

でもそんな夫は、わたしが高熱を出したとわかったときものすごく塩対応だった。

物質的なケアはそれなりにしてくれる人なので、「これは熱だね。ゆっくりして」とだけ言い残して即薬局へ。必要なものを色々と買い込み、あとは無言、無表情…。

 

息子の世話ワンオペだ、とか、職場行けないかも、とか、色々よぎったんだと思う。

 

でも、申し訳ないけど、もう少しねぎらってほしかったなと思ってしまった。もちろん、薬局へ行ってくれるだけいい、息子の面倒見てくれて助かる、夫は夫なりにガーンとなったのもすごくよくわかる!だけど急な高熱で私もすごく焦ったし、体はキツいし、あともう一言、、欲しかったなと思ってしまった。。(見る人によっては贅沢だとわかっています)

 

大人の自分は、夫がそういう態度なのは仕方ないと理解して、自分に仕方ないと言い聞かせてる。

でも熱のせいもあってか、もっと優しくされたい!熱が出てるのに!こんなにしんどいのに!というまるで子供みたいな自分も確かに存在する。

 

私は小さい頃熱を出したら親に怒られていた。

優しく看病されたことがゼロではないけど、嬉しすぎてその1回をすごくよく覚えていて、あとはとにかく母が無表情でため息、不機嫌だった記憶。でも物理的にはとても献身的にケアしてくれる人だった。介入しすぎなほどに。

 

自分の体が辛くて心が参った時に、一番わかってほしい人に寄り添われた記憶があまりない。これはとてもつらいことだと思う。

不機嫌を丸出しにされたり、怒られたり、私の方が辛い!と言われたり、まるで無視して頓珍漢なことを言われたり。

 

そしてそれは多分夫も同じなんだと思う。

同じ目線で寄り添って、物理的にでなくたった一言が心のケアになるとわからないのは、ASDグレーなのもあるけど、されたことがないのも大きいと思う。

 

夫はわたしが熱を出しても怒らないし、「してほしいことがあったら言って」と言ってくれるけど、無表情だし、積極的には介入してくれないので怖くて結局あまり頼むことができない。

頼むと無表情で淡々と物理的にケアをしてくれるけど、怒っていないとわかっていてもその時間はとても怖い。

だから39度あっても、搾乳機のパーツを自分で洗い、消毒して隔離部屋に持って行く。悲しい気持ちになる。

 

そんなことしなくていい!俺がやる!はない。頼めないからわたしが自力でふぅふぅ言いながら自分のケアをしていても、夫は見てすらいない。

助けを求めて来ないから、それはできるということ。という認識だと思う。

 

「ゆっくりして」とは言ってくれたけど、もう一言でいいから、「うわっ、40度近いじゃん!やばいね。インフルかな?今日は寝て早く良くなってね!」など、驚きや共感を感じられる言葉が欲しかったなぁと思ってしまう。

わたしに注意を向けて欲しかったと思ってしまう。

 

高熱が出た時に家族がいて、1人きりでないこと。すぐに薬局に行って必要なものを買ってきてくれること。

これらは本当にありがたくて、心底感謝だけれど、心があと少し近くに感じられたら、こんなに悲しくて寂しい気持ちではなかったなと思う。

 

相性の問題というか、私が体調を崩すことにある種トラウマを抱えているからこうなんだなと。

もっとドライな人だったら、これで十分だったと思う。

 

でも私の心の中には、不満を訴えている小さな自分がいて、その声を無視することはできない。

夫への働きかけをするかどうかということとは別に、その声を無視せずに自分で癒してあげないといけないと思う。

 

小さい頃の自分はとてもかわいそうだった。

物理的なケアは得られても、一番愛してほしい人からの関心や共感は得られなかった。

熱を出すたびに母の機嫌が悪くなるので、体調が悪くなると気持ちがとても沈んだ。熱だけでなく、怒りや悲しみといった感情を出すと母の思い通りにならなくなるので、不機嫌をぶつけられた。

私は思ったままに感情を出せなくて、とても苦しかった。

 

辛いからこそ甘やかしてほしかった。それが教育上いいのかわからないけど、私のされてきたことは明らかに間違いだった。

 

夫の表情や言葉から、そのときのことが想起されるのがとてもつらい。なぜ40度近い熱が出て、とても苦しいのに、弱っているのに、そんな悲しい気持ちにならないといけないんだろう。

 

心の中で、小さい自分が泣いている。

すべて事情を理解している大人の自分が、それを抑えつけて平気な顔をしようとしている。

 

子供は、親からの関心を糧に心を豊かにしていく。本当は、息子のためにも心のケアができる夫であってほしい。でも、息子のために、と言うのは間違っているとわかっている。

 

私が悲しいから、注目してほしい。一番愛しているのがあなただから、辛いしんどいことに、共感してほしいと思ってしまう。

 

実は夫にこれを伝えた。あと一言何かあったら嬉しかったと。「それは言えない。」と言われて、「なんで?息子の世話が大変だから?」と聞いたら「そうだと思う」と。

息子に手がかかるから息子以外は何もできなくなるのなら、一生私は愛してくれないのかなと、また小さい私は存在が否定されるような危機感を持った。

 

最終的に夫は、「ゆっくり休んで…早くよくなってね」と言ってくれた。

 

嬉しかったし、ありがとう。と言ったけれど、私の心は晴れないままだし、実際目の前のことで夫に負荷をかけてしまっているのに、さらに慣れない、言いたくないことを無理やり言わせたようでいたたまれない気持ちになった。

 

夫がトラウマを持つ妻に、まるで母親のように接することでよくなる妻もいるだろう。

そういう夫婦関係をとても羨ましいと思う自分もいるけど、共依存的になることが怖いとも思う。

 

だから、必要以上に介入してこない、だけれどじんわりと見守ってそれなりに愛をもって接してくれる彼がいいと思った。

依存したくても、向こうは依存してこない、できることだけをしてくれるのはまるで私の欠点を隠してくれるようで、いいと思った。

 

だけれど私のトラウマと重なる部分については、毎回トラウマを追体験(再演というのか?)することになり、とてもしんどい。

 

解熱して、お互いに余裕がある日ができたら、このことを話してみたいと思う。

彼に無理を強いずに、だけど私がとても辛い気持ちになることのない、なにか折衷案がほしい。

 

彼はいい人だ。彼を愛している。彼が私を愛していることもよくわかっている。

だけど私の心の中には愛を求めて泣いている子供がいる。子供ができて、母になって、強くならなければいけなくても、どうしようもなく解きほぐせない部分がある。

 

そういう自分をなんとかしたくて、それに気づいた18歳の頃からずっと本を読んだりセラピーを受けたり、普通の人みたいにできるようにとにかくイメトレして経験を積んで、変えられる部分を変えてきたと思う。

 

だけどその影響は本当に大きくて、夫からの愛を得られないと感じた瞬間に、自分の子供よりも心の中の小さい自分が優先してしまうのを感じる。

 

一度、購入したスリングを一緒に試してほしいともちかけたときにとてもイヤそうにされて、ショックだった。「今ちょっと難しいから後で一緒にやろう」とかではなくて、「はぁ…お風呂に入りたいんだけど…」という態度だった。

無理やり付き合わせているような構図にされたと感じて、私は抗議した。

すると夫は黙ってお風呂に入ってしまい、ちょうど息子が泣き始めた。

産後間もなかったこともあるのか、私は異常なほどイライラして、息子が泣くのを少しの間無視してしまった。

 

何が不満だったのか、息子は火がついたように大声で泣いて、もちろん世話をしたのだけど、いつもよりは長く泣かせてしまうことになった。

 

あってはならないことだと理解しているけど、その時私は、息子と自分を同一視していたと思う。

いくら泣いても、助けはこなかったから。

愛されたくても、愛されなかったから。

 

息子を泣かせたままにすることは、過去の自分を痛めつけるのと同義で、そこに「もっとやれ!もっと泣かせろ!」と思っている自分が確実に存在した。

実際何分泣かせたのか、それが虐待と言われるほどの長さでは絶対にないし、丁寧にケアをしたのだけど、その短い時間の間に、心の中にものすごく恐ろしい自分がいると気づいた。本当にショックだった。

 

泣き止んだ息子の表情は、いつもと違う気がした。これを心の楔として覚えておこうと思って、息子の写真を撮った。

それを見返すといまだに、強烈に心が痛くなる。

心なしかふてくされているように見える顔。

 

とってもかわいいのに、愛されるために、健全に発育して、思い通りに生きていくために生まれてきたのに(少なくともそのように思いを込めている)、小さい頃の自分と同じ顔ではないかと。

 

小さい頃の自分を愛で満たしてやりたい自分と、母と同じ視点でいじめ抜いて安心したい自分。

それは息子に対しても全く同じなのかと背筋が凍った。本当にショックだった。

18から自分の育ちを自覚して、ずっと努力してきて、この人となら子育てができるかもしれないと思ったのに。

 

それを感じたのは今のところその一件だけだけど、これはきちんと整理しないとのちのち大変だと思う。

 

虐待の連鎖を断ち切りたくて、それだけは絶対に果たしたくて息子を産んだのに…ここまで自分に向き合って、自分の感情に嘘をつかずに、夫ともアサーティブに接することができている、きっと大丈夫、と思ったのに。

 

ショックだったし、これが自分が一番見るべきものなんだよ。向き合って、まだまだ努力しなきゃいけないものなんだよ。と思わされた。

今もまだあの写真を見るのがつらい。

 

もしも、息子に物心がついて、私と意見が合わないことが出てきた時、無理やりコントロールしてしまったら。息子の気持ちに寄り添わないで、自分のエゴをぶつけてしまったら。

そうしたら必ずその歪みが問題になって出てくる。わたしが一番よくわかっている。

 

もし、絶対に繰り返さないと決めて、カウンセリングにも通い続けてすごく努力したのに、そんな風になってしまったら、私の人生は終わると思う。

結局機能不全家庭に育ったら、そういう子供を再生産してしまうのだということだから。

これまでの努力が身を結ばなかったということ、カエルの子はカエルだということだから。

 

本当に子育てを成功(何かになってほしい、とかではなく愛着の問題を抱えてない大人にすること)させたいなら、結局は自分のセラピーを続けるしかない。

 

心の中で凝っている子供の自分の悲しみを無理やり抑えても結局ダメだから。

根性論とか精神論でとにかく頑張る、無理やりにでも自分を押さえ込んで笑顔で子育てする、とかではなく、わたしが本当に癒されなければならないのだと思う。

 

わたし自身が癒やされたときに、あの痛みを感じずに息子に向き合えるようになるのだと思う。

 

違う話だけど、私は女の人がめちゃくちゃにされることに興奮する性的ファンタジーを持っている。ちょっとヤバいかもしれないけど、現実の性生活ではたぶん通常の域を出たことがないし、強烈に誰かに加害的なことをしたこともされたこともない。あくまでファンタジーというか好みのレベルの話。

 

先日のことがあってから、私はめちゃくちゃにされる女性に幼い自分を重ねているのだと思った。

 

そういうシチュエーションの性的表現物を見る時の自分と、先日の息子に対して沸き起こった感情の源泉は近いと思った。(当たり前だが息子に性的なものを感じるとか性的にめちゃくちゃにしたいとかではない、全然別の話)

 

つまりAVの中でめちゃくちゃにされる女性を見る時も、泣く息子を見る時も、そこに幼い頃の自分を見出しているということ。

 

この感覚はすごく不思議で、悲しくて、絶望的。

息子のことを愛しているし、1分だか2分放置してしまったあの日以来そんな感情は沸かないけど…

 

自分でいることは、なんて苦しいんだろう。よくここまで、大きなトラブルも何もなくサバイバルしてきたと思う。

 

先日カウンセラーに、「あなたはあまり考えすぎない方がいい。アダルトチルドレンとか、調べすぎない方がいい。思考に偏るのは楽だからついそうなると思うけど、いまあなたがやるべきは感情をしっかり感じることです。感情や感覚を大切にすることです。きっと苦しい感情が多かったから、頭で考えて納得することに慣れている。けど感情は自然に湧いてくるもので、否定していいものでも、否定できるものでもないですよ。」と言われた。

 

その通りだと思う。

女だからと舐められたくないのも相まって、私はかなり理屈っぽい人間になってしまった。だけど、それはつらい感情を殺すためにやったことだった。

日常的に、嬉しい、楽しい、ワクワクする、あったかい気持ちになる、そういうものは少なく、感情といえば悲しみ、怒り…もっと奥には孤独感、絶望感、渇望感、そういったものばかりだったから。

 

トラウマや心の問題は、その人がサバイバルするために必要だったという見方がある。

まさにその通りで、悲しくてつらい毎日をしっかり感じなくてもいいように、私は理屈を磨いた。早いうちから大人であろうとした。子供らしくない、やたらと気を使う子供だったと思う。

 

でも、無理して押さえつけた感情は、なくなるわけじゃない。だから思春期にそれが噴出して、精神科通いが始まった。

 

すべては現実と同じで、力学があって、おさえつければどこか別のところから必ず噴出する。何か問題になって現れる。凶悪犯の生い立ちが大体悲惨なのもそういうことだ。

 

トラウマを追体験すると、あっという間に子供の頃の感覚に戻ってしまって、理論武装した大人な自分はあっけなく吹き飛んでしまう。

愛されたい!無視しないで!怒鳴らないで!

そう叫びたかった自分自身に時空を超えてタイムスリップしてしまう。だからおかしくなる。

急にキレる人も同じ理屈だと思う。

 

それは子供時代の自分にとってのリアルな命の危機だから、命より大事、と大人の自分が思っている息子を前にしても怯むことがない。

 

そうでもしないと自分を守ってこれなかった、直視したら死にたくなるほどつらかった、幼い自分が必死で生き抜こうとした証拠こそがトラウマなのだ。

 

高熱が出て、体が辛いから身の危険を想起してトラウマが呼び起こされるのだろうか。

 

絶対に寝ないといけないのに、思考はよくないと言われているのに、自分の中の小さな自分が暴れて寝たくない。

 

我慢じゃなくて、癒やさないと、本当の意味で息子を愛せない。それはとても難しいことだ。感情をありのまま感じるのは、恐ろしいことだ。

 

体がつらくて、心もつらくて、どうしようもなく昔のことを思い出す。

写真の中の困り顔の私はとってもかわいい。

なのにお母さんはどうして、私を愛してくれなかったの?

 

今はわかっている。母も、子供の母が命の危機を感じて、私より優先したんだって。

決して愛していなかったわけじゃないって。

 

辛くて寂しくて、誰かに触れたいけどインフルかもしれなくて無理な夜。小さい自分にとことん付き合ってあげる。

 

それが終わったら、療養が終わったら、夫のことも息子のことも思い切り抱きしめたい。

ままならなくても、死んでもおかしくなかったわたしがサバイバルして、命からがら得た宝物だから。。

2024年の抱負、であり今後の人生の方向性

子供が生まれると人生の主人公が交代してしまうとよく聞くけど、自分の場合はそうなりそうにはない。子供のことは大事だし健やかに育てて行きたいけど、そのためにまず自分の人生を新しく作らないと、という思いが強くある。

 

とはいえ、去年雇われ社長の身分を退いて、次の身の振り方がなかなか決まらずにいた。せめて妊娠中は考えなくていいと割り切っていたけど、ついに子供が産まれてしまい、なんやかんやで保育園入園なんかも視野に入ってきたので、本当に決めざるを得なくなってきた。

 

もちろんバシッと決めてその通りにしないといけない、とかはないので、少しずつ動きながら微調整すればいいんだとおもう。でも自分の場合あまりにもプランが白紙すぎるので、ある程度机上でこんな感じ、と組み立ててからスタートしたい。

 

休職をはじめてから早くも1年3ヶ月。

この間、自分は何をしたいのか、何が好きで何をしたくないのか、よーく考えた。こんなに考えたことないってくらい…。

 

その結果わかったこと。

 

・プログラミングの勉強をしたが、本職にはできなさそう。自分は理系ではないと痛感した(でも簡単なアプリくらいは作れる自分でありたい。)

 

・コーディングやweb製作はできそうだが、本業として承ったことがないので自信なし。やってる間は楽しいが職業にした場合どうだろうという感じ。あと単価が安そう

 

宅建の勉強をしようかとかなり悩んだが、不動産業界へ行くビジョンが描けない。絶対ブラックだし無理。開業しても営業とかできん。

 

・ただそっち系の知識はほしいので勉強はしたい。FP3級の資格はコツコツ勉強して取得したい。

 

校閲を生業にする主人公が出てくる小説を読んだ時、なんかしらんけどこれだ!と思った。ウェブ媒体の校閲は数年やっているので求人を探そうとおもう。時給2000円くらいのものもある。

 

・日本語に触れるのが好きである。

住んでいる町で外国人に日本語を教えるボランティアを募集しているので応募してみたい。

 

・血糖値が心配なこともあり、今後も筋トレ等の運動は必須。産褥期を終えたらジム通いを再開したい。

 

・本屋に行くと癒される。癒されすぎて泣いてしまうことすらある。さほど多読してきたわけではないが、本屋が好きという理由だけで本屋を開業したい。簡単でないとはおもうが将来の夢としたい。本に触れる何かをしたい。

 

こういうようなことだ。

 

なので、息子がある程度の月齢に達したら校閲の仕事を始め、保育園へ預け、ジム通いと日本語ボランティアとFPの勉強をしたい。

 

あと近くに友人がいないのは死活問題なので友人と呼べる人をもう少し作りたい。

カルチャーに造詣の深い人がいい。

この田舎にもきっと趣味の合う人がいるでしょう、少しくらいは。

 

とにかく今は3時間おきの授乳やらなんやらが辛いなぁ〜。夫も育児ストレスで体調が悪くかわいそう、、

 

でもこのくそ大変な日々であっても、自分のアイデンティティが確立していない不安が前面に来る。これが自分。

 

それから最近わかった大きなことがもう一つ。

 

自分の人生の舵取りを絶対に人に任せたくないということだ。

幸福の定義も、そこへ向かう方法も自分で決めたい。

 

身近な人のとある振る舞いを見ていて、自分の幸福の尺度すらほかの人に委ねることがあると知って愕然とした。自分はそういうのは絶対に嫌だ。

そういう状態を「狂う」と私は捉えている。

 

鬱になるのと狂うのだったら、鬱になる方がいい。鬱になってでも、真実から目を逸らしたくない。

たとえ自分が定義づけた「幸福」から外れていたとしても、あぁ外れているなぁ不幸だなぁと思いながら生きていたい。

外れているのに、それでも自分は幸福だ!と自分を騙しながら生きることが絶対に絶対に嫌なのだと、わかった。

 

とある身近な人、を見る目はガラリと変わってしまったけど、このことを教えてくれて本当によかった。

 

世の中には私にとっての「狂った」状態で生きている人がたくさんいるのだ。他人を勝手に狂ってるとか言ったら大変失礼だけれど、ホス狂とか、過度な推し活なども私から見たら「狂って」いる。もちろん本人が幸せというならどうしようもないけれど、やっぱり行き着く先は依存であって、苦しみなのかなとおもう。楽しんでやっているうちは単なる趣味だよね。

 

まあ他人のことはわからないし、バカにする気も辞めさせる気もない。

とにかく自分が、そういう状態になることを毛嫌いしているということが、ここ数ヶ月で痛烈にわかった。

 

鬱になってでも正気でいたい。

それくらい自分にとって重要な価値観だった。

 

鬱になってでも自分にとっての真実を見ようとしている人が好きだ。

 

と、これらとはまた全然別のレイヤーで、自分は幸福がなんなのかやっぱりわからない。完全に機能不全家庭やら、小児期逆境体験の影響だとおもう。

 

でもわからないからと引きこもり生活を続行するのももう限界なので、薄くゆるい繋がりと仕事から、社会復帰を始めていこうと思う。

 

自己肯定感は全然ないにも関わらず、ときどきふとした瞬間に、あーやっぱ自分って結構有能なのでは?と思ったりもする。

 

たとえば育児学級に参加して歓談せねばならないとき、うまく話せない人ばかりで沈黙が続きそうだなと思ったら自分がファシリを買って出る。

そんな役割頼んでねーよという感じかもしれないが、話したことに対して反応が薄かったり、自分だけ発言してないとかだとショボンとする人もいると思うのだ、、

 

うまく場を回して、話せるムードを作る。こういうのは昔から得意だ。悪く言えば仕切り屋だが。。

 

自分に自信がなくて埋没したい反面、小さなグループではリーダーになることが多かった。

これも紛れもない自分の一要素なんだなぁ。

 

2023年は自己分析の年だった。お腹に子供を育てながら。

 

2024年は少しは前に進めるといいなと思う。

とはいえ、うまくいけばもう1人子供がほしいので、どれだけのことができるかという感じだが。

 

一度きりの人生、大冒険して死にたい。

それにはあまりに引きこもりすぎた。

自分について考えすぎた。

でも、そんな季節があってもいいと思う。

 

自分の人生に意味を見出すこと。ロゴセラピー的な。どんなに辛くても意味を感じられたらそれでいい。今年は一歩踏み出したい。

新生児は子であり自分であり親

子供を産んでみて、子供は子供であって、幼い頃の自分そのものであって、さらに育ててくれた母の姿もそこにある。と感じた。

自分でも意味わかんないけど、感覚的に。

 

きのうは傷の痛みが強くて辛かった。

膀胱炎のような痛みもある。

採血も一度失敗されて、気持ちが萎縮していた。

睡眠不足で、赤ちゃんのお世話もできず…つらい一日だった。

 

夫が夕方帰ってからは感情の波が押し寄せて、号泣。部屋に来た助産師さんに発見され励まされた…。。

 

入院してから母と電話やLINEをする機会が増えたが、そのたびイライラしてしまう。

母のADHDっぽい感じ、ひとつのところに集中できない、私の細かな感情の機微が推測できず変なことを言ってしまう、みたいなところが気になる。

 

でも一番大きいのは、大人になっても苦しむほどの複雑性PTSDみたいなものを、なぜ小さな私に植え付けるに至ったのか?あまりにも配慮がないだろう。と思ったから。

それは自分が子供を産んでみて思ったこと。

 

すごく可愛くて、弱くて守るしかない存在。

でも私は母乳の量が足りなくてずーっと泣いていたそうだ。そんなことある?泣き止まなかったらミルクでもあげるよね?と思ってしまう。

成長曲線が止まってしまったらしい。。

そんな慢性的な栄養不足に晒さないで…。

 

逆に母を見ていて思うのは、たしかに母は私を愛しているということ。下手すぎるけど愛はあったのだ。

 

愛されてないわけではなくてよかったという気持ちと、受け取り手としてはそうは思えない気持ちとで、とてもモヤモヤする…。

 

ハイテンションで自分の思ったことだけ貫き、家族に迷惑をかけるところとか。

うちに来ても私たちの家のルールなんか無視で母のペースになってしまうところとか。。

 

帰ったら物理的に助けてほしい反面、今の段階からすっっごくイライラしていて、不安だ。

 

あー書きたいことはあるのにテーマに入れないまま終わりそうしんどい。

ねないと。